無性に犬を触りたくなる2017年03月01日 22:01

ふっと、そういう気持ちになります。
犬に触りたい。
犬の匂いを嗅ぎたい。
最近、特にそう思います。

「こういう気持ちから、また犬を飼いたくなるのかな。」
いやいや、私たちの場合、ハナ以外の犬は在りえません。
だいたい今から子犬を飼って16年経ったら、私は74歳になってしまう。


あぁ、犬を触りたい。撫でまわしたい。
広いところでボールを投げて走らせたい。


ハナが3ケ月ぐらいのときの写真です。




5月に結婚する娘と2017年03月02日 21:11

懸賞のはがきの片隅に、
「5月に結婚する娘と一緒に観たい映画…」とコメントして当選した映画観賞券。
今日は本当に5月に結婚する娘と一緒に、「ラ・ラ・ランド」を観てきました。
(ララランドという健康センターはないのだろうかと思うと笑える)

アカデミー賞で作品賞こそ取らなかったけれど、
監督よし、キャストよし、音楽よし、ダンスよし、撮影よし。
とても感動した映画でした。

私たちはもともとミュージカルが大好きなので、
始まって10分で目頭がじわ~。(感動で涙)
やっぱり音楽っていいなぁと思いました。

でも途中で考えた。
ミュージカルをあまり好きでない人は、この映画の良さがわかるのかな。
ときめくのかな。

案の定、映画を観たあとに、どんちゃんがトイレで聞いたおばちゃんたちの会話。
「思ったほど、面白くなかった。」
「期待したほどではなかったかな。」

そうだと思う。
だって、ミュージカルって、いきなり歌いだす。いきなり踊り出す。
まわりを巻き込んで、歌いだす、踊り出す。
有り得ないでしょ(笑)

でも思った。
いくつになっても、ときめくことはとても大事じゃないのかな。
ときめかなくなったら、女も終わり…かなと。

ちなみに、どんちゃんは明日も行きたいと言っております。
(流石ときめき度が高い)
私は、オリジナルサウンドトラックのCDが欲しいな~。(低い)

日本語のむずかしいとこと2017年03月05日 11:56

アリス先生は、日本語がまあまあ話せます。
が、英会話のレッスンでは話しません。
(でも私たち生徒のつぶやきは、しっかり聞き取っていると思われます。例えば「こんなの学校で習わなかったよね」←たぶん習った、忘れただけ。とか。)

そんなアリス先生が、この前のレッスンで話してくれたことは、(日本語で)
「ニホンゴ スウジ ノ カゾエカタ ムズカシイ」

例えば、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とう。

私が中学1年生の時なんか、英語でなぜ11がイレブンで12がトゥエルブなんだって、小さな怒りを覚えたことがありましたが、
いやいや、これを思うと日本語はもっとむずかしいかも。
普通に1、2、3、4、5…でいいじゃんね。だよ。(外国人の声)


助数詞については、さらに大混乱。
例えば日にち。
ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここのか、とうか。
アリス先生は、四日と八日の聞き分けが難しいそうです。

そして、濁音と半濁音に変化する数え方。
一匹、二匹、三匹、四匹、五匹、六匹、七匹、八匹、九匹、十匹。
じゅっぴきは極め付けだよね。

私たち、子どものころに自然と覚えていったんだね。

英語はここまで面倒じゃないもんなぁ。
日本に暮らす外国人は、いろんなところで苦労しているんだろうね。


さて、先週の木曜日、
午前中は映画、午後は英会話だったので、どんちゃんとランチに行きました。


盛岡市菜園(パルクアベニューカワトクの前)にある「穀(こく)」というお店です。
国産小麦の自家製酵母パンを販売。カフェもあって、所狭しとオーガニック食品雑貨も販売。



カフェでは、ランチメニューもありましたが、
私たちは食べたいパンを選んで、飲み物を注文しました。
どんちゃんは甘酒ジンジャーで、私はジンジャースムージー。緑の飲み物の中にはいろんな野菜が入っていました。



夕方は、学校の正面玄関でみゃむを拉致し、
3人でプールに行きました。(食べたぶん消化しないという罪悪感?)笑

とても充実した一日でした。



今朝の夢2017年03月05日 14:08


今朝の夢は、なんとも現実味のある夢でした。

どうもこうも私のことが好きでたまらない星野源が、
私がダメだというのに付き合いたいと言ってきて。
歳の差があるから無理だといっても、
そんなの関係ありません、好きです、と言い。

外をデートしていても、
「みんな、親子だと思ってるから大丈夫!」
なんて嬉しそうに私に微笑む。(かわいい)

できれば覚めて欲しくなかった。
いい夢でした。



3月になりました。2017年03月07日 11:44

3月になりました。
しかも、もう7日。

仕事を始めて3ケ月が経ち、週2回が時々3回のときもあり、
先月も今月も、月に10日働くことになりました。(もう一人の保育士の都合で)

思えば10年ぐらい前にうつ病を患っていたときは、仕事に行けなくて暗い部屋に閉じこもっていました。(仕事でうつになったわけではないが)
それを思うと、今は仕事がとても楽しいので、とても幸せだなぁと思います。

さて、つい最近のことですが、
どんちゃんが8時過ぎに帰宅して、すき焼きを食べていたのですが、
急にお腹が痛くなって、しかも見たことがない痛みようだったので、慌てて県立病院の救急に連れて行きました。
私はお酒を飲んでいたのでタクシーで行ったのですが、「痛い、痛い」で七転八倒。
(タクシーの運転手さんは、頼むからここで産まないで、と思ったはず)
病院に着いても入口に倒れ込んで歩けない。やっとの思いで車椅子に乗せて受付まで行きました。
着いたら着いたで車いすから降りられなくて、その体勢で体温と血圧を測ったら、こりゃびっくり。け、血圧の表示が、上が40、下が10。ひぇ~!
待合室には10人ぐらいの患者さんがいましたが、緊急度が高いと判断されたのか、すぐに診てもらうことが出来ました。
「お母さんはここで待っていてください。」
と言われ、待った待った。1時間。(いろいろ検査をしてもらった)
呼ばれて行ってみたら、どんちゃんは点滴をしていました。
顔色も前よりは良くなっていて、話もでき、ほっと一安心。
イケメンの若い先生が来て、「血圧が上90まで戻りました。検査の結果も特に悪いところは見られませんので、最後にこの注射をしてお腹の痛みが落ち着いてきたら、帰ってもいいですよ。」と言ってくれました。
「でも、血液検査で少し白血球の数値が高いので、もしかしたら虫垂炎の可能性もないわけではありません。おうちに帰ったら、お腹の右側が痛くなるかもしれないので、その時はすぐに受診するように。」
イケメン、やるなぁ。
その後、症状も落ち着いてきたので無事に帰宅することができました。(午前1時)
で、なんだったっだ?この4時間半!タクシー代と診察で1万5千円も飛んでしまいましたが、翌日は仕事にも行き、夜には友だちの結婚披露宴にも行き、元気になってほんと良かった良かった。

そうそう、ちょうどその夜は、りんごちゃんの彼と(つまりエル君だけど)とどんちゃんの彼(つまり婚約者だけど)が、盛岡でバンドの練習をしていました。(どちらも県外に在住)

どんちゃんのことを聞きつけて、二人が病院に駆けつけてくれたのですが、
広いロビーの向こうの自動ドアが開き、さっそうと歩いてくる二人を見たとき、
お母さん(正しくはお義母さん)は、まるで「あぶない刑事」の登場シーンのように見えて、興奮してしまいました。
で、思わず出た言葉が、「石原軍団かと思った!」

塩分カット2017年03月09日 22:16



塩分30%カットの柿の種を食べました。
健康によろしい、
かもしれませんが、やっぱりいつもの方が美味しいと思いました。

子どものころ、近所のおばあちゃんがお茶うけの柿の種をちり紙に包んでくれました。すっごく嬉しかったけれど、うちに帰って食べようとしたら、全部くっついていて食べられませんでした。
おこちゃんの悲しい思い出です。




またこの日が来た2017年03月11日 12:04

震災が起きて、
1年目、
2年目、
3年目…と思いはそれぞれ違いました。
違うというより、変化していたという表現が正しいかもしれません。


6年目。
岩手にいると、特にこの日に限らず、
毎日震災のことを考えます。
それは、ローカルニュースにそういう短いコーナーがあったり、
天気予報の映像が、生の宮古湾の映像、大船渡湾の映像だったりするからです。
毎月11日は行方不明者の捜索が行わていて、その様子も映ります。

さて、津波でご主人と家を失った友人が、
最近息子さん夫婦に連れられて沖縄旅行に行きました。
2年前、私たちと一緒に旅行に行ったときに、あの日以来初めて海が見れたと言った彼女。窓越しでした。
ついこの前も、一緒に太平洋から昇る朝日を一緒に見ました。
「わぁ。」と海を見つめる彼女。
やっぱりそれも窓越しでしたが、その時の表情から見て、おそらく6年ぶりに見た景色だったことを察しました。
山で育ったけれど海が好きで、嫁いだ先が海のそば。
朝日が昇る風景がとても好きだったと聞いたことがあります。
その彼女が、沖縄に行きました。
海の色は違えど、おそらく浜辺を歩いたに違いありません。海水を触ったかもしれません。
ガラス越しではなく、直に海に触れたのです。
それが、出来た。


被災地が、どんどん復興に向かって整備されています。
商店街ができたり、復興住宅が完成して移住したり。
学校が新しくなったり、仮設住宅が減って使えなかった校庭で運動ができるようになったところもあります。
みんなみんな、がんばって生きています。
今日のローカル番組で、被災した子どもが「生きている自分は、ずっと何かをしなければならないと思っていた。」と話していました。
父親が死んで、兄弟も死んだ。生き残った自分はその人のぶんまで生きなければならない。そういう思いを背負って過ごした小学生。
母親の前では元気でいたり、友だちと笑っていたり、自分の気持ちに蓋をしてきたと話していました。
胸が苦しくなりました。

大船渡の子育てボランティアで出会ったあの赤ちゃん。
もうすぐ小学校にあがります。
あの日臨月だったママさんが、寒さと恐怖で震えながら急な山をよじり上った。
その話を笑いながら私に話してくれたあのママは、今でも仮設住宅で子育てをしているのでしょうか。

よし。
今年も行ってみようかな。被災地に。

筆ペンの思い出2017年03月12日 22:31

いつから筆ペンが世の中に登場し始めたかはわかりませんが、
家に筆ペンが初めて存在したとき、
みなさん、広告の裏に文字を書きまくりませんでした?
自分の名前、住所、家族の名前、気になる言葉、などなど。
無意識で「愛」とか、書いたでしょ?「へのへのもへじ」とか。

昔は新聞広告の紙が2種類あって、
ざらざらした紙と、つるつるした紙でした。
ほとんどが一面刷りだったので、裏にお絵かきが出来ました。
子どもの頃は、ざらざらの紙があると嬉しくて、
なぜかというと、鉛筆で書くにはすこぶる良くて、
クレヨンもしっくり描けました。

ところが大人になってからは、つるつるのほうが書きやすくて、
マジックで書くには最高でした。(ちょっと間違えると擦れて手の小指の下のあたりが汚れました。長袖の袖口当たりとかもね)

さて、話はもとに戻りますが、
筆ペンの練習にはそのつるつるの広告が最適でしたよね。
書いて書いて書きまくった。筆ペンの思い出。



さて、最近どんちゃんが筆ペンを買ってきました。(招待状の宛名用)
3人で書きまくりました。
残念ながら、つるつる、しかも裏が白い広告なんてありませんでしたが、
1本の筆ペンをかわりばんこに取り合って、
楽しかったです。昭和みたいで。


さすがに60に近くなると、「愛」は書きませんでしたね。


E.T.の思い出2017年03月13日 21:40

さっき、二階からおりてきたどんちゃんが、
テレビでやっていたE.T.を見て言いました。
「あ、これ、ドリュー・バリモアじゃん♪」
え?うっそ。
でも、よくよく見たら、なんか似てる!
チャーリーズ・エンジェルの、あのドリュー・バリモア?かい?

そんなことも知らず私たちは、
「この子、今、何歳だろうね。」なんて言って、あのとき私は20歳過ぎていたから、
「40ぐらいじゃない?」なんて話していたのさ。

みゃむが早速、Yahoo!で検索。
「ホントだ!この子、ドリュー・バリモアだよ、ゆうこさん。」


しかも、本当に40代。
びっくりしました。


さて、E.T.の思い出。
1982年の作品だそうです。
私も観ました。盛岡の、今は無きSY内丸という映画館でした。
たぶん23歳のときだと思います。
忘れもしない、すごい混みようで、私は通路に新聞を敷き、そこに座って観ました。
今なら考えられない。これでお金を普通に取っていたんだから、有り得ない。



トムとジェリー2017年03月14日 21:25

毎夜毎夜、「最後から二番目の恋」のDVDを観ているのですが、
その中で鎌倉の天使の役の坂口憲二が、
「トムとジェリー♪、なかよく喧嘩しなっ♪」と歌っているシーンがよくあります。

実は先週、病児保育園に来た子どもが、
トトロより千と千尋より、なんたって「トムとジェリー」が大好きで、
ずって見ている子どもがいました。
その子はもうすぐ小学校にあがるので、お昼寝タイムは静かにDVDを見て過ごすという時間にしたのですが、約3時間、ずっと繰り返して見ているのです。
なんだろ。ああいうシンプルなアニメを見て笑っている子どもを見ると、
なんかいいなぁと思ってしまいました。
よくよく見ると、あの猫もあのネズミも容赦なしの悪いやつらなんですけどね。

その日は職場でも家でも「トムとジェリー」のメロディが聞こえてきたので、
あまりに奇遇。ちょっとびっくりしました。

で、坂口憲二だけど、最近ドラマに出ていないなぁと思いました。
(ナレーションはやってるか)