春分の日おまけ③ ― 2023年03月27日 17:33
私の自慢の1つでもある、「鹿と話が出来る」については過去の旅でもお伝えして来ました。
初めてその才能に気づいたのは、北海道を旅しているとき。
草地に野生の鹿がたくさんいて、下を向いて草を食べていました。
私が「●△◎★□~♪」と声を掛けたら(鹿語で)、鹿が振り向いてこっちを見ました。しかもそこに集まっていた鹿たち全員に通じたようで、ゆっくりと私の方に近づいて来るではないか。
気付いたら、さっきまで誰もいなかった道路に観光客の車がずら~っ。
鹿の数より多い人間が車から降りて、みなさんカメラを鹿に向けている。(シャッターチャンスを狙ってる感じ)
再び草を食べ始めた鹿たち。
え?皆さん。もしかして、私の一声に期待している?
しかしその後、奈良公園の鹿にも、宮島(広島)の鹿にも、同じ声を発したけれど通じなかった。耳元まで近づいて声を掛けたけれど、微動だにしなかった。
つまり、そうか。私が通じるのはエゾジカだけ?
という話を、古川のイタリアンのお店でりんごちゃんとトモ君に話していたら、
出て来た料理が、エゾジカだった。
お腹が痛くなりました。(笑いすぎて)
宮島のトイレ ― 2013年01月19日 20:23
「さて、ここは何でしょう?」
といつかクイズにしようと考えていましたが、
あまり盛り上がりそうもないので、やめました。
ここは、宮島の公衆トイレ。
宮島の鹿は紙を食べるので、トイレットペーパーを食べにトイレに侵入するらしいのです。
それで柵が。
たまたま撮影したのが夜だったのでこのような感じですが、
昼間は「ナニこれ?」みたいには感じません。
私は鹿の言葉が話せるので(イーオンで習いました)、
北海道では野生のエゾジカと会話しましたし、奈良の鹿とも会話しました。
だからその姿を今回すみれさんにお見せしたかったので、旅の目的のひとつにしていたのですが、
誰一人、いや1頭も私の声掛けに応えてくれるものはいませんでした。
相当シャイなんですね。
横道に反れました。
というわけで、奈良には鹿せんべいがありましたが、
宮島にはそういうものはなく、
宮島の鹿は、ただひたすらじっと観光客のバックから出ているパンフレット等の紙を狙っている、
とってもおとなしい鹿さんたちでした。
それにしても、もしトイレに入ってドアを開けたら鹿がいた!なんてことがあったら、びっくりですよね~\(◎o◎)/!
といつかクイズにしようと考えていましたが、
あまり盛り上がりそうもないので、やめました。
ここは、宮島の公衆トイレ。
宮島の鹿は紙を食べるので、トイレットペーパーを食べにトイレに侵入するらしいのです。
それで柵が。
たまたま撮影したのが夜だったのでこのような感じですが、
昼間は「ナニこれ?」みたいには感じません。
私は鹿の言葉が話せるので(イーオンで習いました)、
北海道では野生のエゾジカと会話しましたし、奈良の鹿とも会話しました。
だからその姿を今回すみれさんにお見せしたかったので、旅の目的のひとつにしていたのですが、
誰一人、いや1頭も私の声掛けに応えてくれるものはいませんでした。
相当シャイなんですね。
横道に反れました。
というわけで、奈良には鹿せんべいがありましたが、
宮島にはそういうものはなく、
宮島の鹿は、ただひたすらじっと観光客のバックから出ているパンフレット等の紙を狙っている、
とってもおとなしい鹿さんたちでした。
それにしても、もしトイレに入ってドアを開けたら鹿がいた!なんてことがあったら、びっくりですよね~\(◎o◎)/!
ずっと行きたかった広島 ― 2012年12月26日 16:00
すっと行きたかった広島。
小学生の社会の教科書で写真が載っていた厳島神社。
母が「日本で行ってみたいなぁと思う場所ってどこ?」
と私に聞いたことがありました。
私はすかさず社会の教科書をもってきて、
「ここだよ」とその写真を指さしました。
母は、「なんで?」と不思議そうな顔をしました。
変わった子だなぁという顔でした。
でも、本当はなんでそこに行きたいのか、自分でもわかりませんでした。
そして大人になるまで、父から時々戦争の話を聞き、
ユニセフの写真展で、原子力爆弾の恐ろしさを知りました。
この歳まで広島と長崎でこんな無残なことがあったことを、
1行か2行の文章でしか知らなかった自分を恥じました。
本物を見たい。そこに行ってもっと知りたい。
夏休みになると。子ども向けの戦争のアニメを開催する場所があったので、
毎年娘たちを連れて行って一緒にそのアニメを観ました。
子どもにはあえて感想も聞かず、
戦争に対する思いを押しつけるのはやめようと思いました。
そのうちに、次女が高校の修学旅行で広島に行きました。
長女が友人と広島に行きました。
そして長女が今年の夏に、
「お母さん、私と広島旅行に行かない?」と言ってくれました。
その旅行は、長女からのプレゼントでした。
今頃の報告になりますが、
私は9月9日(日)から12日(水)までの4日間、
2人で広島へ行ってきました。
小学生の社会の教科書で写真が載っていた厳島神社。
母が「日本で行ってみたいなぁと思う場所ってどこ?」
と私に聞いたことがありました。
私はすかさず社会の教科書をもってきて、
「ここだよ」とその写真を指さしました。
母は、「なんで?」と不思議そうな顔をしました。
変わった子だなぁという顔でした。
でも、本当はなんでそこに行きたいのか、自分でもわかりませんでした。
そして大人になるまで、父から時々戦争の話を聞き、
ユニセフの写真展で、原子力爆弾の恐ろしさを知りました。
この歳まで広島と長崎でこんな無残なことがあったことを、
1行か2行の文章でしか知らなかった自分を恥じました。
本物を見たい。そこに行ってもっと知りたい。
夏休みになると。子ども向けの戦争のアニメを開催する場所があったので、
毎年娘たちを連れて行って一緒にそのアニメを観ました。
子どもにはあえて感想も聞かず、
戦争に対する思いを押しつけるのはやめようと思いました。
そのうちに、次女が高校の修学旅行で広島に行きました。
長女が友人と広島に行きました。
そして長女が今年の夏に、
「お母さん、私と広島旅行に行かない?」と言ってくれました。
その旅行は、長女からのプレゼントでした。
今頃の報告になりますが、
私は9月9日(日)から12日(水)までの4日間、
2人で広島へ行ってきました。
広島~3日目 ― 2012年12月26日 09:00
絶対に干潮の宮島に行って、大鳥居にタッチするぞ~!
その夢を叶えてくれたのが、涼子さんでした。
私たちは、電車もJR,フェリーもJRで宮島へ。
すみれさんは、鹿とお喋りしている暇もありませんでした。
干潮時に鳥居に触れるのは一瞬。すぐに水が戻ってくるのです。
その夢を叶えてくれたのが、涼子さんでした。
私たちは、電車もJR,フェリーもJRで宮島へ。
すみれさんは、鹿とお喋りしている暇もありませんでした。
干潮時に鳥居に触れるのは一瞬。すぐに水が戻ってくるのです。
あ~(@_@)
裸足になれば行ける距離でしたが、ちょっとの差で間に合いませんでした。
うーん!これは、また挑戦しなさいということかも…。
この写真からはそんなに大きくは感じないかもしれませんが、
奈良の大仏様より大きいんです。
しかも根元は海中に埋め込まれておらず、
鳥居の重さで立っているんですよ。
つまりちょこんとのっかっているだけなんですって。
信じられな~い(>_<)
*********************************
気を取り直して、厳島神社の境内を歩いてまわりました。
とっても美しかったです。写真よりきれい!だ思いました。
七五三の祈祷に来ていた家族です。
干潮の境内からは、こんな珍しい風景も見られました。
干潮の境内からは、こんな珍しい風景も見られました。
いつもは海水が満ちている境内も、干潮になるとこんな感じ。
その後、すみれさんが奮発して、人力車に乗ろうと言い出しました。
宮島と言えど、歩いて名所をまわるのは大変。←言いわけ(ーー゛)
23歳の女性の方に引いてもらって、
細い道をくねくねと走りながら、
3人でお喋りをしながら楽しい時間を過ごしました。
宮島と言えど、歩いて名所をまわるのは大変。←言いわけ(ーー゛)
23歳の女性の方に引いてもらって、
細い道をくねくねと走りながら、
3人でお喋りをしながら楽しい時間を過ごしました。
豊国神社の千畳閣、おみごと!
五重塔もおみごと!
天狗もおみごと?
天狗もおみごと?
2日間にわたり宮島を制覇した?私たちは、
その後、フェリーと電車を乗り継いで一路広島市へと向かいました。
広島駅で、お好み焼きを食べました(^o^)丿
美味しかった~!
満腹になった私たちは、第二の目的地へ路面電車で向かいました。
昨日、ゆっくり見ることができなかった平和記念公園。原爆ドームや広島平和記念資料館など、納得が行くまで見学しました。
資料館では、音声ガイド(ヘッドホン)を借りました。
そのおかげで資料館の展示物について、じっくりと説明を聞きながら歩きました。
何回か、吉永小百合さんの詩の朗読がありました。
館内には修学旅行生がたくさん来ていました。
「きもい」、「超やばいんだけど」、「見れない無理無理無理!」、「こわっ」
こんな言葉がやけに耳につきました。
一般のお客さんは、日本人より外国人の方が多かったように思います。
特に若い方が多幼い子ども連れの夫婦もいました。
外国人は、展示物を一つひとつ、真剣なまなざしで見ていました。
修学旅行生のような声をあげるような人は、
一人もいませんでした。
私たちはあらためて、原子力爆弾の恐ろしさを知りました。
戦争の意味を考えさせられました。
そして、もっといたかったけれど、閉館の時間になってしましました。
出口の近くに、メッセージを書くノートが置かれていました。
私は、一瞬全身から血が引いて行くような気持ちになりました。
なぜなら、そこにこんなメッセージか書かれていたからです。
「I'm sorry. USA」
えっ?なんで謝るの?
ここに見学に来ていた若いアメリカ人。
さっきすれ違った人?子どもを抱っこしていた人?
あなたが悪いのではないでしょう?
私は涙が出そうになりました。胸が苦しくなりました。
大騒ぎして帰って行った修学旅行生。
同じ日本人であることが恥ずかしくなりました。
そして、原子力爆弾の恐ろしさを、もっと世界中の人々に見て欲しいと思いました。
日本が最初で最後の被爆地でありますように…。
夕暮れの平和公園を歩きました。
あの日、この川にどんな風景があったのでしょう。
どんな叫び声が聞こえたのでしょう。
私たちは、今日はいろんなところで手を合わせました。
その後、100m道路の緑地を歩きながら、
戦後に育った樹木や戦死した人たちや建物跡の碑がたくさん見て、
戦争ってなんだろうと、二人で語りながら歩きました。
いよいよお腹が空いたので、広島名物のつけ麺を食べに行きました。
「廣島つけめん本舗 ばくだんや」(中区藤見町)
こんなに美味しいとは思いませんでした。感激\(◎o◎)/!
さて、3日目はフリーの予定でしたが、
結局2日目と同じ場所を極める一日となりました。
いよいよ明日は帰る日です。
もう少しいたい気分で、ホテルに帰りました…。
こんなに美味しいとは思いませんでした。感激\(◎o◎)/!
さて、3日目はフリーの予定でしたが、
結局2日目と同じ場所を極める一日となりました。
いよいよ明日は帰る日です。
もう少しいたい気分で、ホテルに帰りました…。
広島~4日目 ― 2012年12月26日 08:00
けっこう余裕で起床。朝食も満足し、ホテルをチェックアウトしました。
3日間同じホテルに泊まって、そこを拠点にして旅を楽しむということに満足し、
景色を振り返りながら、「さよなら!」「ありがとう広島!」なんて思い出にひたっていたら、
3日間同じホテルに泊まって、そこを拠点にして旅を楽しむということに満足し、
景色を振り返りながら、「さよなら!」「ありがとう広島!」なんて思い出にひたっていたら、
あら大変!新幹線の時間に間に合わないことに気がつきました。
まずい。急がなくては。
「すみれさん!走って!!」
「わかった!」
でも、涼子さんの姿がすみれさんからどんどん遠くになっていく…
あぁ!股関節がはずれそう(>_<)!
それでも涼子さんは時々後ろを振り向きながら、
「急いで!」「乗り遅れら大変だよ!」と優しい激励?
おそらく中学校の運動会以来の全速力で走ったように思います。
もちろん私は汗ぼーぼー。ヒィ~ヒィ~息切れ。
ぎりぎり間に合いました(@_@)
その後の記憶はあまりありません。
気が付いたら、富士山が窓からきれいに見えました。
大阪、京都、名古屋…は、夢の中。
そして二人は横浜で下りて、パスタを食べ、
横浜キャノンキャッツシアターへ向かったのです。
本当に楽しい旅でした。
一日にして世界遺産をふたつ見ることができました。
涼子さん、ありがとう。
そして、お留守番組もありがとう!
私の夢が叶ったのは、みなさんのおかげですよ(#^.^#)
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