大切なものは何ですか2018年05月25日 22:01

今日、NHKで『大切なものは何ですか』というドキュメンタリーを観ました。
たぶん、再放送でしょう。3月11日に放送したものだと思います。
被災地に住む人たちが、この質問の答えを短い映像(ほとんどがスマホで撮影したもの)で動画にしていました。
それをつなぎ合わせて一つの番組に…。


津波で奥さんを失くしたけれど、いつも一緒にドライブしているという年配の男性。
あの時生まれた赤ちゃんが、今はこんなに大きくなった、という家族。
震災後に被災地に引っ越してきたという若者たち。
海で働く男たち。
それぞれ大切なものには意味がありました。
震災を通して再確認した、大切なもの。
それは、家族。

私も考えてみました。
考えるというほど時間はかからなかったです。
大切なもの、やはり私も家族だから。

仙台市天文台が、あの日3月11日の仙台の空の映像を公開しました。
だんだん日が沈み、あたりが暗くなっていって…。
月が出ていました。
満天の星が輝いていました。
でも、この空の下にどんな風景があっただろう。
地上は停電で真っ暗でした。だから星がきれいに見えたのだそうです。
あの夜、空を見上げる余裕なんてなかったもんな。
みんなで寄り添って暖をとった。
ストーブの前で、余震に怯えていた。

大切なもの、それは生きている家族と、
亡くなった家族との思い出かもしれません。


コメント

_ 五右エ門 ― 2018年05月26日 21:58

おこちゃん、こんばんは。
今日、5月26日は日本海中部地震が起きた日です。
35年経ちました。
当時は日本海には津波は来ないと信じられてたようです。
揺れたら浜へ逃げろ!と教え込まれた人もいて、浜へ逃げた人達が確認されていたようです。
津波以上に崖崩れの備えが大事と考えられてました。
男鹿の海に遠足に来ていた小学生が津波で亡くなりました。
亡くなった小学生の母親は
35年経ち、孫を抱いていたかもしれないなあと話してました。
自分は年をとってしまったけど、娘は12歳のままなんだ…と話してました。

大切なものは家族
なにげなく家族と過ごす日々は幸せ
と改めて思った一日でした

_ おこちゃん ― 2018年05月26日 22:28

五右エ門さん、そうだったのね。もう35年も経つんだ…。
確か五右エ門さんが盛岡から秋田に帰って少ししてからのことだったよね。
そうそう、その何年か前、私が19歳のときに宮城県沖地震があったでしょ。
あのとき私は寮に入っていたのですが、秋田から来ていた同級生が、こんな強い地震も経験したことないとベソをかいていました。もちろん津波なんて考えもしなかったでしょう。
だからあの日本海中部地震は、衝撃的でした。
まさかね、先生と一緒にいてあんなことになってしまうとは。
津波てんでんこ、2011年に日本中の教訓になりましたが、何事も経験の積み重ねが防災に繋がるんでしょうね。

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