震災から4年10か月2016年01月11日 19:04


今日、あの日から4年と10か月が経ちました。
今年新成人となった若者は、あのとき中学3年生でした。
岩手でも、被災地の成人式の様子がニュースで流れました。
今は離れ離れになっていた友だちが、ふるさとに集まって、
いろんな思いでこの日を迎えたことでしょう。
中には地元で復興のために仕事をがんばっている人もいて、
進学した人もいずれは復興のために帰ってきたいと話していて、
ニュースで見たよその成人式とはえらい違いだなと思いました。

今日は2回、地震がありました。
青森県で震度弱。
この寒さがあの日の記憶を蘇らせました。

今日も沿岸では、毎月11日に行われている捜索活動がありました。
震災に対する記憶の風化を防ぐためにも、こうして活動していくことが、被災した方々にも大切なことである、と話していました。

東京オリンピックが開催されるころ、
被災地はどうなっているのだろう。
国立競技場は2019年11月末に完成するらしいけれど、
被災地は人不足とか資材不足で工事が先に進んでいない。

今年は暖冬で良かったです。
去年お邪魔した釜石市の仮設住宅に住むおばあちゃん。
あの部屋は日当たりが悪くて、プレハブも一番古くてね。
元気に暮らしているかなぁ。



コメント

_ 五右エ門 ― 2016年01月12日 21:15

「天が与えた試練と言うにはむごすぎるものでした。
辛くて、悔しくてたまりません。
命の重さを知るには大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事がこれからの私達の使命です。」

全文ではないですが、これは当時気仙沼階上中学校卒業式、梶原裕太君の答辞の一部分です。

金曜日にクローズアップ東北で震災時階上中学校3年生だった子達が二十歳になるにあたり、それぞれの生き方を追うような内容を放送していました。
同級生57人で巣立つはずだったのに3人が犠牲になり、54人避難場所になっていた中学校の体育館での卒業式。
涙を流しながら、声をつまらせながらもりっぱに答辞を述べていた姿をニュースで見たのを思い出しました。
改めて少年少女から成人になる若者達にこれ以上試練を与えないで欲しいと願ってしまいました。
忘れたくても忘れられないむごすぎる試練。ずーっと背負っていかなければならない事が胸を締め付けられてしまいます。

どうか、どうかみんなみんな、心を強く持ちこの若者達が誓ったように助け合って生きてほしいと感じます。
涙があふれてしまった金曜日、そして成人の日でした。

(階上中学校卒業式答辞はYouTubeで視聴できるようです)

_ おこちゃん ― 2016年01月12日 22:20

五右エ門さん、こんばんは。
私たちって、本当に真面目なのか不真面目なのか。比率にしたら不真面目の方が多いと思いますが、そのバランスが魅力ですよね(笑)

私が子育て支援のボランティアに行っていたときのあの子たちも、もう小学生になります。大きくなっただろうな。遊ぶ場所がなくて困っていたけれど、みんなすくすくと育ったろうか。
そして、私に生活の愚痴を話していたあのママさんたち、どうなったかな。
元気で子育てやっているかな。
被災者の多くの人は、震災について風化していくことを心配しているそうです。
だから私たちに出来ることは、こうして時々ブログを通して何かを発信し続けることかもしれませんね。
YouTube、見てみるね。コメントありがとうございました(*^_^*)

_ 五右エ門 ― 2016年01月13日 09:58

いとこの数と県庁所在地を数えたりしたら眠りにつけましたか?

私ね、「けんちょうしょざいち」と言えないんです。
「けんちょうしょじゃいち」になってしまうんです。滑舌?

_ おこちゃん ― 2016年01月13日 10:29

私がさ。五右エ門さんから送ってもらった雪だるまの写真を勝手に使ったから、五右エ門さん、動揺してコメントする場所、間違えましたね\(^o^)/

いとこの数と県名では眠れなかったのですが、さすがに四国あたりの県庁所在地でうつらうつらとなってきて、なんとか眠りにつけました。

羊を数えるより目が覚めてしまうかもね。

けんちょうしょじゃいち、ほらね。私はちゃんと言えます(笑)

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