7年と10ケ月2019年01月11日 16:18


昨日のことです。
仙石線の電車の中で、4人掛けの座席で私と一緒に座った女性。
年のころは60代後半かな。

「どちらまで乗られるんですか?」
と声を掛けたら、山形駅で下りてまた電車に乗って、
ご実家に帰られるという方でした。
もうご両親な亡くなられて、お兄さんに会いに行くのだとか。
普段は介護の仕事をされていて、70歳まで働くという女性。。
とてもお元気な方でした。

聞くと、名取市の閖上(ゆりあげ)にある介護施設で働いているそうで、
震災の日のことを聞くことができました。

その日はいつも通りにお仕事をされていて、大きな地震があったので、
入所されている高齢者の方たちを1階から2階に非難させていたそうです。
もちろんその時は津波が来るとは全く予想もしていなかったわけですが、
おそらく普段から訓練をされていたのでしょうね。
窓の外を見たら、海の向こうから真っすぐこちらに向かってくる大きな津波が見え、
その後はもう必死でみなさんを避難させるしかなくて、
最後の方を運んだ時は、既に階段の踊り場まで津波が押し寄せていていたそうです。
「あの日は特別に寒かった。」
電気もつかず、情報も入らず、ただひたすら励まし合いながら過ごした夜。
あの後もずっと、強い余震が続いていたから。
どんなに恐怖だったかと思うと、もう胸が苦しくなりました。

避難所で知り合った親子から聞いたという話も教えてくれました。
親子で津波にのまれ、もう終わりだと思っていたら、
目の前にふわっと畳が浮かび、それになんとかつかまっていたら、
今度は大きなビニール袋に入った毛布が流れて来て、
必死でそれに掴まって、冷たい海の中で助けを待っていたそうです。
どれぐらいの時間、海に浮かんでいたのでしょう。
身体がもう冷えてしまって、おそらく掴んでいるのも必死だったのでは…。
「こんなこともあるんだね。」「畳が浮かぶんだから。」
奇跡のような現実を、そのお母さんは話してくれたそうです。

そういう人、きっとたくさんいたんだと思いました。
助かった人、もしかしたら力尽きて助からなかった人。


忘れてしまいたい人もいるでしょう。
でも、
忘れてはならないことがあるんだな。
…もうすぐ8年。
また3.11がやって来ます。