ここ数ヶ月のできごと ①2012年11月19日 13:44

 夫の趣味は読書です。でもここ何年か私は彼が本を読んでいる姿を見たことがありません。未読の文庫本は本棚に何十冊もあるのに、ずっと並んだままです。
 夫は緑内障という目の病気を患っています。白内障という病名はよく耳にしますが、緑内障と言われても、はて?どんな病気?と誰もが思いますよね。
 緑内障にもいくつか種類があるようですが、素人の私が簡単に説明すると、網膜神経節細胞が死滅する進行性の病気で、視神経が死んで無くなり、視野が欠損するというもの。それでもうまく言えないけれど、一度喪失した視野は回復することが困難なため、日本における失明の原因のとされる病気のトップが、この緑内障だそうです。

 さて、夫の話にもどりますが、今年の春、前から欲しかった拡大読書機が視覚障害者は1割負担で購入できるという情報を知り、自分は1級から6級まである身体障害者に該当しないかどうかを調べてもらうことにしました。けれども医者には「該当しない」と言われ、それはそれでよしということで、高価な拡大読書器を購入できないことは残念だったけれど、心のどこかにはほっとした気持ちがありました。なぜなら、夫は1年ほど前から車の運転をやめ、自転車に乗ることもやめました。眼精疲労のためか頭痛もひどく、頭痛薬は手放せませんでしたし、仕事でもパソコンの字が見えなくて、ずいぶん苦労していたようです。だから、自分の視力が今どのような状態なのか、本当は不安だったのだと思います。

 ところが、夫の視力は急に低下し、個人病院から医科大学附属病院を紹介され、数々の検査の結果、悪化していることがわかりました。しかも3ヶ月前には該当すらしなかった症状がいっきに進行し、身体障害者2級が交付されました。
 正直な話、ショックでした。私があれだけショックだったのだから、本人はもっとショックだったと思います。確かに、パソコンの字がますます見えなくなってきたと話していました。すれ違った人に声を掛けられても、結局誰だか分からなかったということもありました。家でも、テレビを見る距離が以前より近くなったなと思っていました。道で私に気付かすに通り過ぎてしまうこともありました。おかしいなと思うことが、日常でもいくつか確かにありました。

 でも、夫は前向きでした。あまり落ち込んでいる様子はありませんでした。いつも明るくて、障害者手帳の手続きやその他諸々の申請を、自ら積極的に行いました。私は、そんな夫に励まされ、そこに立ち止まることなく前に進むことができました。自分が以前仕事をしていたときによく口にしていた「ピンチがチャンス!」という言葉、今こそこの時だと、思いました。障害なんてなんのその!明るく笑っていられました。
…つづく

おとめ倶楽部が開催されました2012年11月19日 16:15

 まず、おとめ倶楽部についてですが、この名称について、庶務であるわたくしの不手際により、6月に開催されたときのブログにはおとめの会と記載してしまいました。おとめ倶楽部が正式名称です。関係者の皆様、大変失礼いたしました。

 このおとめ倶楽部は以前も紹介しましたとおり、昭和60年代に一緒に子育てを楽しんできた今で言うママ友です。メンバーはたった3人ですが、10倍のパワーがあります。(これって、ただのオバタリアンってこと?というか今どきオバタリアンなんて言わないのかな…涙…)
 この会の組織は、会長、副会長、庶務となっており、最年少の私は当然庶務担当となっております。

 今年は2回目となったおとめ倶楽部、今回は秋ということで美しい紅葉の見える場所を設定いたしました。いかがでしょう。(写真)

 ここは、盛岡市にある「南昌荘」というところのお庭です。南昌荘は、盛岡出身の実業家瀬川安五郎という人が明治18年頃に建てた邸宅で、盛岡には数少ない明治の立派な家屋と名園が残されています。

 さて、おとめ倶楽部はいつものように、近況報告やら最近の政治の話などを楽しくお喋りしながらお食事、食後のコーヒーと場所を変えていくのですが、今回はなんと、副会長の計らいで盛岡市鉈屋町かいわいを散策するという、いきなりの勉強会も行われました。
 鉈屋町は、江戸時代から明治時代にかけて、城下町盛岡の北上川船運や数ある街道からの入り口として栄えた地域です。見学した盛岡町屋は、間口が狭く奥に長く、大きな神棚が設けられている常居(じょい)という部屋は、2階を載せず天井をはらない吹き抜けになっていました。訪ねた1件は当時は八百屋さん、もう1件は酒屋さんだったとのこと。当時の風景が目に浮かんでくるような空間でした。

 おとめ倶楽部、なかなかの一日でした。

 組織紹介
  会長   ゆきちゃん
  副会長  いくちゃん
  庶務   おこちゃん