呼び方2012年11月25日 00:18

 私は小学校にあがるまで、自分のことを「おこちゃん」と呼んでいました。「おこちゃんにもちょうだい。」「おこちゃんも行く。」みたいな。でも私の本名には、「お」という字は入っていません。母に尋ねても最初から自分のことをそう呼んでいたとしか教えてくれないし、でも近所のお姉さんが私のことを可愛がってくれていて、「○っこちゃん」と呼んでいたのが幼い私の耳には「おこちゃん」と聞こえたのではないかという話も聞いたことがあります。
 
 そして、同じく小学校にあがるまでは、父親のことを「おとうちゃん」、母親のことを「おかあちゃん」と呼んでいました。兄のことは「おにいちゃん」、これは今でも変わっていません。
 
 ランドセルを背負うようになったとは言え、いきなり自分のころを「わたし」、両親のことを「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶのには苦労しました。特に家の中ではついつい今までの呼び方をしてしまって、なぜだか恥ずかしいと思ったりしました。きっと、少しお姉さんになった気分だったのしょうね。

 それから1年生の時、教室で先生に「お母さん」と言ってしまったことがありました。あの時はすごく恥ずかしかったなぁ。
 そんな経験ありませんか?

みゃむが歌を歌うとき2012年11月25日 00:34

 8月までのブログにはみゃむと言う人物がよく登場していました。そう、仮り歯が抜けたみゃむ君です。
 
 みゃむという呼び方は、りんごちゃんがつけてくれました。母親である私が再婚し、その相手が今さらお父さんでもないしおじさんでもないし、そこでグッドアイディア!りんごちゃんは私の再婚相手を「みゃむ」と名付けてくれたのです。
 ですから、ブログでみゃむは時々「夫」に変身しますが、基本的には真面目だけどふざけていて、ふざけているけど面白くて、面白いけどホラー好きで、ホラー好きだけどアイドル集団が好きで、好きじゃないと言いながらも「マジスカ学園」を見ていて、実はAKB関係に詳しくて、メンバーの顔と名前が一致していて、頭が良すぎるけど、ちょっと視覚障害者で…。とにかく自分は人見知りだと言いながらも、私には口から生まれてきたんじゃないのかと言われるぐらい、よく喋る男性です。

 そんなみゃむに関してですが、昨日私は発見しました。大発見です。みゃむは弱視というか視野が欠損しているせいか、毎日が頭痛との闘いです。頭が痛くて夜眠れなかったり、24時間頭が痛いという日もあります。それが何日も続いたりします。いや、結構、それは日常的なことです。
 
 ところが最近、るなさんに教えてもらった「頭蓋骨マッサージ」というものを始めたところ、頭痛のない日がたびたび存在するようになりました。…るなさんの頭蓋骨マッサージとは関係ないかもしれませんが。
 とにかく私は気づきました。みゃむは前はよく歌を歌っていたということに。しかもそれは数ヶ月前までのこと、つまり緑内障が悪化する前までのことだったということをです。
 
 みゃむは何をするにも、メロディーは合っていますが歌詞がでたらめの歌を歌っています。例えば何?って思いますよね。例えばクラシックで言えばシューベルトの「野ばら」とか「子守り歌」、歌謡曲で言えば演歌以外なら何でも。童謡だった「ぞうさん」とか「やぎさんゆうびん」その他なんでも。合唱曲なら「大地讃頌」。一番よく歌うのは「もみじ」かな…。秋の夕日に照る山もみじ~♪しかも低音部。私とハモって歌うのが好きみたいです。私もアルトだったので、ホントは低音部なんですがね(笑)
 で、頭痛のない日はよく歌を歌う。とにかく一人で歌っている。しかし、歌わない日もあるのです。つまり、つまりです。歌わない日と言うのは、頭の痛い日みたいなのです。しかも、頭痛の日に必ず歌う曲が1曲だけあります。それは、「どかべん」。しかも曲の最後の部分です。「がんばれがんばれどかべん、やまだた~ろう~♪」の歌詞に、自分の名前を入れて歌うのです。必ず歌うのです。
 
 野球少年だった、いや大学まで野球をやっていたようです。そんなみゃむ君。口癖は、「頭痛のない国に行きたい。」「俺の頭痛を治してくれる人がいたら、千円あげてもいい!」(ちっちぇ~ (;一_一) ) 
 今はボールが見えなくなって野球ができなくなっちゃったけれど、私はみゃむとの言葉のキャッチボールはとっても楽しい!特に速球!私はそう思っています。

 明日はどんな歌が聞けるかな。楽しみ!楽しみ!な私なのでした(*^_^*) 今日のわんこ風☆

昭和30年代/女の子の遊び~ミルク飲み人形2012年11月25日 10:59

 ままごとあそびの赤ちゃんは、やっぱり着せ替え人形というより、もう少し大きなお人形でした。今で言うとキューピーちゃんみたいな感触の硬いような柔らかいような、そんな素材です。無理をすると腕がもげてしまい、でも何とかすれば子どもでもすぐにはめ込めるような人形で、お風呂に入れようとすると中に水が入ってしまって、自ら腕を外して水を抜いたりしたものです。ぎりぎり人間の赤ちゃんの服が着せられて、ぎりぎりと言ってもきついのではなくて、むしろがぶがぶという意味でですが。洋服の他に白いパンツと靴下も履いていましたよね。可愛かった☆彡

 五右衛門さんのローズちゃん、目に浮かびます。寝かせると目を閉じて、起こすと目をあける人形。他にも口が少し開いていて、ほ乳びんをそこに入れると、ミルクがどんどん減っていく、ミルク飲み人形もありました。あのほ乳ビン、不思議でしたよね。今なら仕組みはわかりますが、当時は単純だったから、ただただ不思議としか言いようがありませんでした。単品で500円しました。
 他にも、何かをすると「みゃあー」と泣く人形もありませんでした?寝かせるとかな、起こすとかな、それともどこか押すのだったろうか。「みゃあー」かな、「ママ―」だったかな…。

 人形と言えるかどうかはわかりませんが、当時はぬいぐるみというもの貴重でした。クマのぬいぐるみなんて、欲しくても買ってもらえなかったです。初めて買ったのが中学生のときで、おこずかいでスヌーピーでしたから…(おそらくニセモノ)。

 でも、お金持ちの車の後ろにはよく白いプードルかなんかのぬいぐるみが飾ってありませんでした?羽ぼうきと一緒に。なんかピアノの上にも置いてあったようなイメージがあります。あれは、ぬいぐるみと言うより飾り物という感じでしたけどね。

 話が横道に反れました。ミルク飲み人形は、今でもありそうですね。機能は進化していると思いますが…。今はおもちゃ屋さんも商店街から消えてしまったし、ネットでなんでも手に入るから、なかなかお人形に出会うチャンスがありません。ゲームセンターでゲットしたぬいぐるみなんか、バザーで10円で売られていたりして、一つのものを大事に使うというような時代ではなくなりましたからね。やっぱり昭和の人間は昭和ということなんですね。(意味不明、でも昭和の人間には意味はわかる!)