パラリンピックも終わった。2021年09月06日 08:00

開催したほうがいいのか、延期がいいのか、中止がいいのか。
いろいろ考えた東京2020だったけれど、やってしまえば、それは感動。
今日は何があるのかな?とここまでパラリンピックを楽しみにしたことはなかったです。
おそらく今回は、事前に競技の内容や、選手の障がい、生い立ち、環境などを知ることが出来たから、余計に応援したくなったのだと思います。
自国開催ということで、その情報量はいつもより多かったもんね。
やはり、理解するということは、まず「知る」ことから始まるんだ。

私はこの13日間で気づいたことがありました。
それは、自分だけの違和感だったのかもしれませんが、
例えば生まれながらの障がいを持った人と、そうではない人を見たときに、
特に後者、つまり中途障がいの方の多くは、もともとその競技をやっていたというケースが多いから、それってはたして平等なんだろうか。
「すごいね。」
「もともとやってた人みたいだよ。」
「あぁ、やっぱりね。」
みたいな。
だからどうなの、と自問自答していたような気がしますが、どこかすっきりしない気持ちでした。
でも、今回のパラリンピックを見て、ほぼほぼ最終日に近いころ、なんとなく自分なりの答えが出たような気がしたのです。
中途障がいの選手たちは、ある日突然障がい者になって、おそらく人生のどん底まで落ちただろうに。それでもここまで来れたんだ。
もともと競技の経験者であろうがなかろうが、そういうことではないんだ。

元気をもらったという人がたくさんいる中で、もしかしたら障がいをもった子どもが「ワタシもやってみたい」と思ったかもしれません。
家にこもりがちだった人が「自分にもやれるかな」「もう一度挑戦してみようかな」と思ったかもしれません。
それがスポーツに限ったことではなくて、それが音楽だったりダンスだったり、勉強だったり、自分の好きなこと、やってみたいと思っていたことに挑戦できるきっかけになったかも。(そうあって欲しいという願望)

それにしても、ちょっと気になったこと。
閉会式の最後の誰か(外国人)のあいさつを通訳していた人が、「グローバルなムーブメント」と訳していました。
「スポーツ」は仕方ないとしても、「グローバル」な「ムーブメント」は日本語訳になってないよね。(笑)
これに限らず、最近テレビを見ていると、お偉いさんが横文字をたくさん使うから困る。
日本語で言ってよ。この時間帯にあなたの話を聞いている人は、理解に苦しむおおよそ60歳以上のおじさん、おばさんだと思うよ~。(笑)