長崎の旅①2019年09月11日 14:00

朝の6時半にチェックアウトして、博多駅に向かいました。
今日は、7時17分発の特急つばめに乗って長崎本線を下ります。



朝ごはんは、駅弁と決めていました。



列車の旅は楽しいね。
特に特急列車は新幹線と違って、窓が大きくて開放的。
でも予想外に揺れるから、洗面所で歯磨きしたときには、
まるでよさこいを踊りながら歯磨きしているようでした。(笑)
特急ってこんなもんだっけ?

そして、座席で見つけたこんなもの。
なんだこりゃ?


な、なんと、切符を入れるポケットでした。


東北新幹線には、「切符を拝見いたします」がないので、
こういうものはありません。
(もしかしたら知らないのは私たちだけかもしれないけれど)
会社が違うと、電車も違う。面白いなぁと思いました。

車窓から見える風景も、とても新鮮でした。
稲穂がもう垂れていました。
先日の洪水の痕跡も、少しだけありました。
途中、有明海が見えました。なぜかムツゴロウ(人間のほう)の顔が浮かびました。
巨大な水門みたいなのも見えました。
あれ、そういえば結局最高裁でどうなったんだっけ?

いろんなことを考えていたら、9時48分、終点長崎に到着しました。


長崎駅は、なんというか懐かしい感じがしました。
とても開放的で、どこかヨーロッパの古い駅のようでした。


こんな人がいました。
葉加瀬太郎より太ってる私って、いったい( 一一)
(というか、この太郎、細すぎだし、足も長すぎ!怒りがこみ上げてきましたw)


あ、そうだった。
こんなところで遊んでいる場合じゃなかった。
私たちは路面電車の一日乗り放題券を購入して、赤迫行の路面電車に乗りました。


下車したところは、こちら。


あの日もこんなに暑かったんだろうな、と思いながら、
平和公園へ行きました。
平和公園は、毎年記念式典で見る場所ですが、
高台にあることを初めて知りました。

平和の泉。(噴水のずっと向こうに平和祈念像が見えます)

ここにはこう書いてありました。

のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

長崎の鐘。

平和祈念像。

天を指した右手は“原爆の脅威”を、
水平に伸ばした左手は“平和”を、
軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いが込められているそうです。


歩きながらふと思い出したこと。
小学生のとき、私は沖縄の女の子と文通をしていました。
中学生になって、長崎の女の子と。
そして高校生になってから、広島の女の子(女性)と文通しました。
不思議なつながりを、ここであらためて感じました。

暑い中、私たちはこのあと、原爆落下中心地を見て、長崎原爆資料館に行きました。
記念館には、小学生と中学生の団体が大勢いました。
その子たちにまじって、展示物や映像を見ました。

7年前、やはりりんごちゃんと広島で平和について考えました。
そして今回は長崎で。
やっと夢が叶いました。

『怒りの広島、祈りの長崎』。
どちらも焼け野原だったのに、ここまで復興したんだ。

そういえば展示物の中に、ぐにゃぐにゃに曲がった線路がありました。
三陸鉄道の線路とおなんじでした。
そうか、津波は原爆と同じぐらいのエネルギーだったのかも…。
おそろしくなりました。




コメント

_ ビーカー ― 2019年09月12日 16:18

こんにちは。

長崎にも出かけたんだね。1度は行ってみたい♪
平和公園の石碑に刻まれた文字にこころえぐられました。
戦争の現実と悲惨さに、本当に悲しすぎます。
ちょっと平和ボケ気味の日本だけど、平和って素晴らしい。

ふと、中学生の夏休みの頃を思い出しました。
長崎と同じ様に原爆で被害を受けた、広島の原爆投下の話「碑(いしぶみ)」という本が課題図書で感想文を書かなければならなかった。
中学生なりに衝撃を受けたけど、わたしはそれなりの感想文。
(読書感想文にがて…汗)
だけど、近所の幼馴染は同じ本を読んで何か素晴らしい賞をもらった。
いつも国語の成績「5」の彼女、やっぱり凄いんだな。
何をするにも国語が基本だからね、読解力がないと上手くいかない。

おこちゃんの文通も何か縁を感じるよね。
どんなふうに相手と知りあったのかはわからない。
けど、十代の少女ならやっぱり遠いところに、憧れとか妄想とかあったのかなぁ。

_ おこちゃん ― 2019年09月12日 16:50

ビーカーさん、その本、覚えてるよ、 課題図書だったよね~。
長崎はね、広島とはちょっと雰囲気が違っていたね。
特に原爆資料館は、ちょっと古くて、でもそこが良かったかな。
『母と暮らせば』を観て予習してから旅行したんだけど、展示物を見て色々と思い出しては胸が苦しくなりました。
平和公園では、そう、この詩を読んで鳥肌がたちました。
ここに原爆が落ちて、どんな風景だったんだろうと想像したよ。そばに川が流れていたから、特に。
文通はね、沖縄の子は小学校で募集があったよ、返還の時期だったからかな。島袋さんという人だった。
長崎の子は、ちょっと忘れたけど、私立の小中学校だったから、お金持ち風だった。(笑)
広島の人は今でもお付き合いがあります。千趣会のcookだったかな、そこで見つけて手紙を出したの。
今じゃ、個人情報、考えられないね~(*^▽^*)
長崎、もう一回行きたいなぁ。(パフェも食べたいし)

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