春はあけぼの ― 2019年02月28日 12:19
私は目に映るもの全てに春を感じている今日この頃ですが、
みゃむにも春を感じることがたくさんあるらしく、
車を運転しているときなどに、
みゃむがいきなり、「春はあけぼの。」と言い出すときがあります。
み「春はあけぼの。」
お「ようよう(やうやう)白くなりゆく山ぎはすこしあかりて」
み「むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる…(最後までつづく)」
会話、成立。
あぁ、なんていい夫婦なんでしょう。と我ながら思う。
まるで皇室のよう…笑
しかし悲しいかな、まだ夏じゃないのに、みゃむは続ける。
み「夏は夜。」
ゆ「月の…。」
み「月のころはさらなり、やみもなほ、ほたる飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし…(最後までつづく)」
お願い、もう終わって、と思う妻。
み「秋は夕暮れ。」
ゆ「・・・・・・・・・・・」運転に夢中な振りをする妻。
み「夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて…(最後まで続く)」 もう私の記憶の中にその風景は浮かばない。
しかしみゃむも人の子。
み「あれ?冬はなんだっけ?」
お~キタ━(゚∀゚)━!私はそこだけは知ってるよ♪
ゆ「冬はつとめて。」 でもあとは知らない。
でもみゃむは知っている。
み「冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。」
こんなこと憶えていたって、人生なんの役にも立たないじゃんね。
開き直る妻は、そのことを決して口に出して言わない。(言えない)
ゆ「いいねぇ、日本人って。時代が変わっても通じるもの、あるもんね。」
こんな感じで分かったふりする。
そしてこの先、夏が来て、秋が来て、冬が来たときに、
「夜」と「夕暮れ」と「つとめて」だけ忘れないようにしよう、と思いました。
最後にみゃむが言いました。
み「つとめて、って早朝のことだよね。」
お「(え?そうだっけ?)そうそう、そうだよね。」
最後まで
知ったかぶりする
みゃむの妻
昨日の早朝。
屋根には雪がうっすらと積もっていました。
春はあけぼの。冬はつとめて。真ん中ですね。
明日から3月 ― 2019年02月28日 13:06
また来ます、3月。
あの日から8年。9度目の3.11。
昨日、仙台に行ってきました。
澄み切った青い空。
でも風が冷たくて、あの日のことを思い出してしまいました。
こんなに復興して、仙台市はとても美しい。
しかし、偶然にもこういう展示を見ることができました。
最初、事故車なのかなと思って近づいて見てみたら、
津波にのみこまれた車両でした。
車内はこんなです。
サイドミラーがこんなことに。
忘れかけていた、津波の威力。
というか、こんな近くで見たのは初めてかもしれません。
これ、何だと思います?
私はぜんぜんわかりませんでした。
コレです。標識。
しかも津波注意の標識でした。
大きなパネルも貼ってありました。
そうだ、こうだった。どこもかしこも、海岸沿いはこうだった。
このあと、
あらためて仙台の繁華街を歩きました。
あの日、大パニックになっていた街並が、
今はまるで嘘のように美しく生まれ変わり、大勢の人が行き交っていました。
でも、この人たちの心の中には、
それぞれの震災が生き続けているんだろうな、と思いました。
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