ユニクロおこちゃん2 ― 2013年05月13日 09:33
美味しければいいのだ(>_<) ― 2013年05月13日 18:54
こんにちは。ぶたちゃんです。
今日はおこちゃんのアバウトなお料理をご紹介します。
材料の目安は全くありません。だから、同じものと再現することは不可能。
こちらは、4月にくぅママさんから教えてもらった、モロッコのタジン料理。
くぅママさんからご馳走になったものとは、大違い。
第一の失敗は、玉ねぎを入れなかったこと。
第二の失敗は、食材を欲張り過ぎたこと。
(サツマイモの他にカボチャを入れたり、パプリカ2色にピーマンまで入れました)
写真はステンレスのフライパンで料理中に撮影したもの。
う~ん、いい匂い。ブヒッ。
材料の目安は全くありません。だから、同じものと再現することは不可能。
こちらは、4月にくぅママさんから教えてもらった、モロッコのタジン料理。
くぅママさんからご馳走になったものとは、大違い。
第一の失敗は、玉ねぎを入れなかったこと。
第二の失敗は、食材を欲張り過ぎたこと。
(サツマイモの他にカボチャを入れたり、パプリカ2色にピーマンまで入れました)
写真はステンレスのフライパンで料理中に撮影したもの。
う~ん、いい匂い。ブヒッ。

さて、次はタンドリーチキンと呼べるのだろうか。
ズボラの新婚さんは、さすがに6年目を迎え、皿にものせず、
オーブンの皿のままテーブルに。
スプラウトを散らして、いちおう緑色も…。てところでしょうか。
黒い部分は茄子ではなく、焦げというう物体です。
みゃむいわく、「この草みたいなのは何?」
さらに、みゃむいわく「また同じ味になるといいね」…さすが分かってらっしゃる。
おこちゃんさ~。もうちょっとキレイに草を散らせないのかな、ブヒッ。

で、残ったヨーグルトに豚肉を一晩漬けこんで、
タンドリーポークにしました。
ポークって、何の肉なのかよく分からないワタシ。
チキンのほうが美味しかったって、みゃむもおこちゃんも言ってました。

以上、ぶたちゃんでした。
もう一回、見てね♪ (私の上にカーソルと合わせてみてくださいまし)
A地点からB地点まで♪ ― 2013年05月13日 19:59
昨日は母の日、ということで、
母の忘れられない思い出話をいたします。
4年前のちょうど今頃。
午後の3時ごろだったでしょうか。
父から私の携帯電話に、今にも泣きそうな声で、
「おこちゃん、助けて…」と電話がかかってきました。
「どうしたの?」
「おばあちゃんがね、いなくなったの…。」 (本当に泣いていたかも)
放射線治療で一時帰宅していた父は、私たちに運転を禁じられていたにもかかわらず、母と一緒に車でスーパーに買い物に行っていました。
翌々日には、医大にまた戻らなければならないという時。
いったい何を買いたかったのやら。それを思うと今でも胸が痛くなります。
「わかった。今すぐそこに行くから、お父さんは動かないでね。」
みゃむと私は車で父のいるスーパーへと向かいました。
すると、駐車場に悲しげな顔をした父が立っていました。
事情を聞くと、父は認知症の母と一緒に買い物に来て、
母をスーパーの自動ドアの所に座らせていたらしいのですが、
レジからは見えたのに、レジを過ぎたら姿が見えなくなっていたとういうのです。
慌てた父は、スーパーの中を捜し、店員さんにも捜してもらい、
もしかしたら家に歩いて帰ったのかもしれないと思い、
車でゆっくり家までの道を走りながら、母の姿を捜したとのこと。(その距離約3km)
でも、家には誰もいなかったので、父はまたスーパーに戻って私に電話をしたのだそうです。
母がいなくなってから、すでに1時間が過ぎていました。
私はすぐに警察に電話しました。
すると、すぐにパトカーが来て、警官が7,8人であたりを捜索してくれました。
私も、商店街のお店に一軒一軒中に入って、母がいないか見て回りました。
途中の大きなお店では、店内放送で店員さんに捜してもらいました。
警察の方々は、本当によく捜してくれていました。
でも、母は見つかりませんでした。
父はおろおろしていました。
癌末期の父、なんで今になってこんなことに…。
私は父に「大丈夫だから、お母さんは大丈夫だから。」としか言えませんでした。
でももういなくなってから3時間。
このままだと、母はどこかの道路のすみっこにでもしゃがみこんで、
もしかしたら一晩寂しい思いをさせてしまうかもしれない…。
いてもたってもいられませんでした。
そして、5時間後。
私の携帯電話に知らない番号。出ると、さっき捜索してくれた盛岡東警察署ではなく、全く反対方向の盛岡西警察からの電話でした。
「お母さんをお預かりしています。」
助かった~。
父を家に置き、私たちが西警察に迎えに行きました。
急いで西警察に向かい、中に入ると。
母:「やぁ。」
私:「あぁ~お母さん!」
母:「今ね、お茶ご馳走になっていたの。美味しいお茶だよ、二人もご馳走になって。
お姉さん、この人たちにもお茶をいれてあげてちょうだい。」
婦警さん、笑顔でお茶を入れてくれました。
事情を聞くと、母は人混みに流されてスーパーを出て、
人混みに流されて4車線の道を渡り、
人混みに流されて、そこに来たバスに乗ったようです。
ところがそのバスは盛岡駅行きだったのでしょうね。
お金もない、言っていることも意味不明なおばあちゃんを、
バスの運転手さんはお金は要らないから、と言って、
盛岡駅のバスターミナルにおろしてくれたんだと思います。
ところが、
認知症の母はそれでも負けず、次に来たバスに乗り込んだのだと思います。
結局母は、滝沢村の巣子車庫という、行こうと思ってもなかなか行けない場所に辿りつき、無賃乗車の旅は終了。
バス会社の方が、名前も住所も分からないお年寄り、ということで、
わざわざ管轄の西警察署まで送ってくれたみたいです。
母の忘れられない思い出話をいたします。
4年前のちょうど今頃。
午後の3時ごろだったでしょうか。
父から私の携帯電話に、今にも泣きそうな声で、
「おこちゃん、助けて…」と電話がかかってきました。
「どうしたの?」
「おばあちゃんがね、いなくなったの…。」 (本当に泣いていたかも)
放射線治療で一時帰宅していた父は、私たちに運転を禁じられていたにもかかわらず、母と一緒に車でスーパーに買い物に行っていました。
翌々日には、医大にまた戻らなければならないという時。
いったい何を買いたかったのやら。それを思うと今でも胸が痛くなります。
「わかった。今すぐそこに行くから、お父さんは動かないでね。」
みゃむと私は車で父のいるスーパーへと向かいました。
すると、駐車場に悲しげな顔をした父が立っていました。
事情を聞くと、父は認知症の母と一緒に買い物に来て、
母をスーパーの自動ドアの所に座らせていたらしいのですが、
レジからは見えたのに、レジを過ぎたら姿が見えなくなっていたとういうのです。
慌てた父は、スーパーの中を捜し、店員さんにも捜してもらい、
もしかしたら家に歩いて帰ったのかもしれないと思い、
車でゆっくり家までの道を走りながら、母の姿を捜したとのこと。(その距離約3km)
でも、家には誰もいなかったので、父はまたスーパーに戻って私に電話をしたのだそうです。
母がいなくなってから、すでに1時間が過ぎていました。
私はすぐに警察に電話しました。
すると、すぐにパトカーが来て、警官が7,8人であたりを捜索してくれました。
私も、商店街のお店に一軒一軒中に入って、母がいないか見て回りました。
途中の大きなお店では、店内放送で店員さんに捜してもらいました。
警察の方々は、本当によく捜してくれていました。
でも、母は見つかりませんでした。
父はおろおろしていました。
癌末期の父、なんで今になってこんなことに…。
私は父に「大丈夫だから、お母さんは大丈夫だから。」としか言えませんでした。
でももういなくなってから3時間。
このままだと、母はどこかの道路のすみっこにでもしゃがみこんで、
もしかしたら一晩寂しい思いをさせてしまうかもしれない…。
いてもたってもいられませんでした。
そして、5時間後。
私の携帯電話に知らない番号。出ると、さっき捜索してくれた盛岡東警察署ではなく、全く反対方向の盛岡西警察からの電話でした。
「お母さんをお預かりしています。」
助かった~。
父を家に置き、私たちが西警察に迎えに行きました。
急いで西警察に向かい、中に入ると。
母:「やぁ。」
私:「あぁ~お母さん!」
母:「今ね、お茶ご馳走になっていたの。美味しいお茶だよ、二人もご馳走になって。
お姉さん、この人たちにもお茶をいれてあげてちょうだい。」
婦警さん、笑顔でお茶を入れてくれました。
事情を聞くと、母は人混みに流されてスーパーを出て、
人混みに流されて4車線の道を渡り、
人混みに流されて、そこに来たバスに乗ったようです。
ところがそのバスは盛岡駅行きだったのでしょうね。
お金もない、言っていることも意味不明なおばあちゃんを、
バスの運転手さんはお金は要らないから、と言って、
盛岡駅のバスターミナルにおろしてくれたんだと思います。
ところが、
認知症の母はそれでも負けず、次に来たバスに乗り込んだのだと思います。
結局母は、滝沢村の巣子車庫という、行こうと思ってもなかなか行けない場所に辿りつき、無賃乗車の旅は終了。
バス会社の方が、名前も住所も分からないお年寄り、ということで、
わざわざ管轄の西警察署まで送ってくれたみたいです。
婦警さんいわく、「持ち物や洋服のどこかに名前を書いていただけると助かります。」
はい、すみません。と頭を下げながら、でもね、いくら認知症といってもレディですから、服に名前をつけるわけにはいきません。靴下の裏と下着にはちゃんと名前が書いてあったんですよ。(デイサービスを利用していたので)と思う私。
西警察の方は、みなさんとても親切でした。
そして、「もしいなくなったら、すぐに警察に電話してください。そうすれば、タクシー会社とバス会社に連絡がいって、もっと早く見つけることができますよ。」とアドバイスしてくれました。
私たちは、「はい、はい、すみません。これからはそうします。」とひたすら頭を下げるだけ。
母は笑ってお茶を飲みながら、楽しそうに婦警さんとお喋りしていましたが、
みゃむが必要な書類に記入している間、
「お母さん、寂しかったでしょ?」とひとこと聞いたら、
「うん、寂しかったよ。」とうっすら目に涙が浮かびました。
手続きが終わり、さあ帰りましょうとなった時、
母は、警察官の皆さんに言いました。
「じゃあね~バイバ~イ。また来るね~!」
職員さんは手を振りながら苦笑。
その後母のとった行動は?
とクイズに出したいところですが、長くなったので書きましょう。
西警察の玄関から出て、そこにあったのは数台のパトカーでした。
母は、「わっ!パトカーだ!早く逃げろ。」と言って走りました。
あのね、お母さんが今までお茶をご馳走になっていたのが警察署だっつうの(;一_一)
盛岡東警察署のみなさん、盛岡西警察署のみなさん、岩手県交通(バス)の職員のみなさん、そして母になんらかの関わりをもってくださった皆さん。
本当にありがとうございました。
約30kmの無賃乗車の旅、
母はどんな思いで窓から風景を眺めていたんでしょうか。
大好きな童謡を歌っていたのは確実ですね。







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