昭和40年年代~ゴムとび ― 2013年01月11日 11:36
小学生のころ、学校で女の子の遊びで一番記憶にあるのは「ゴムとび」でしょうか。
今でもあるのかどうかはわかりませんが、
当時のゴムとびは、ゴムを持つ人が2人、とぶ人が1人以上。
だいたい7~8人で遊びましたね。
(ゴムを持つ人を一人省略したければ、その辺の木や柱に結えて、人に合わせて高さを調整していくこともできした。)
では、まずはどんな遊びか。これは地域によって違うかもしれませんね。
ゴムの両はじを持った2人は、だいたい2mぐらい離れます。
(もともとのゴムの長さは1mぐらいでしょうか)
そして、二人が同じ高さにして下から上へと上げていき、
それを他の人がゴムに触らないように飛んでいきます。
いわゆる走り高跳びのようなものです。
高さには呼び方があり、最初は「土」(これはウケ狙いというか、準備運動というか)。
次は「つまさき」「ひざかぶ」「きょうつけ」と続きます。「きょうつけ」は整列の時の「きをつけ」のことで、高さは手を下に伸ばしたときの指先ぐらい。
ここまでは、ゴムに触れては駄目です。だいたいの人が「横とび」でした。
次は、「腰」「胸」「わきの下」「肩」「耳」とだんだんハードルが高くなっていくのですが、
ここからはとにかくゴムの向こうに飛び越えればOKというこよになり、
華麗な技が始まります。
とび方の名前は忘れてしまいましたが、「くれんこ」という技はありました。
どういうものかというと、少し助走した後に利き足のつま先でゴムを下げ?、一瞬回転しながらゴムを飛び越すというものだったと思います。
「腰」のあたりはみんなこの技を使うのですが、だんだん高くなると、
背の高い子だけではなく、背の低い子でも足が長かったりジャンプ力あったりすると成功できて、ピンと伸びたつま先から足のつけ根がそれはそれは美しく、
バレリーナのようでした。成功すると「お~っ!」と声がかかり、拍手喝采。
「耳」の次は「頭」(てっぺん)、さらに頭の上に「指1本」「指2本」と続きますが、だいたいこの辺が限界だったような。
この高さになると「逆立ち」という技になり、後ろ向きで両手を地面についてつま先をゴムに引っかけ、その空いた空間を飛び越します。で、最後の人が飛べなくなったら終了。
この遊びは、長なわとびのように「持つ人」が次々と交代するのではなく、
最後までゴムを持つ人は「持つ人」だったと思います。
そして、飛べなかった人はそこで終わり、応援する側になります。
(「○○ちゃん、がんばれ!」みたいな掛け声をかけます。)
そしてまたじゃんけんで持つ人、飛ぶ順番が決まります。
これは単純に輪ゴムを繋げる作り方。でもすぐに切れるので、あまり人気がない。
今でもあるのかどうかはわかりませんが、
当時のゴムとびは、ゴムを持つ人が2人、とぶ人が1人以上。
だいたい7~8人で遊びましたね。
(ゴムを持つ人を一人省略したければ、その辺の木や柱に結えて、人に合わせて高さを調整していくこともできした。)
では、まずはどんな遊びか。これは地域によって違うかもしれませんね。
ゴムの両はじを持った2人は、だいたい2mぐらい離れます。
(もともとのゴムの長さは1mぐらいでしょうか)
そして、二人が同じ高さにして下から上へと上げていき、
それを他の人がゴムに触らないように飛んでいきます。
いわゆる走り高跳びのようなものです。
高さには呼び方があり、最初は「土」(これはウケ狙いというか、準備運動というか)。
次は「つまさき」「ひざかぶ」「きょうつけ」と続きます。「きょうつけ」は整列の時の「きをつけ」のことで、高さは手を下に伸ばしたときの指先ぐらい。
ここまでは、ゴムに触れては駄目です。だいたいの人が「横とび」でした。
次は、「腰」「胸」「わきの下」「肩」「耳」とだんだんハードルが高くなっていくのですが、
ここからはとにかくゴムの向こうに飛び越えればOKというこよになり、
華麗な技が始まります。
とび方の名前は忘れてしまいましたが、「くれんこ」という技はありました。
どういうものかというと、少し助走した後に利き足のつま先でゴムを下げ?、一瞬回転しながらゴムを飛び越すというものだったと思います。
「腰」のあたりはみんなこの技を使うのですが、だんだん高くなると、
背の高い子だけではなく、背の低い子でも足が長かったりジャンプ力あったりすると成功できて、ピンと伸びたつま先から足のつけ根がそれはそれは美しく、
バレリーナのようでした。成功すると「お~っ!」と声がかかり、拍手喝采。
「耳」の次は「頭」(てっぺん)、さらに頭の上に「指1本」「指2本」と続きますが、だいたいこの辺が限界だったような。
この高さになると「逆立ち」という技になり、後ろ向きで両手を地面についてつま先をゴムに引っかけ、その空いた空間を飛び越します。で、最後の人が飛べなくなったら終了。
この遊びは、長なわとびのように「持つ人」が次々と交代するのではなく、
最後までゴムを持つ人は「持つ人」だったと思います。
そして、飛べなかった人はそこで終わり、応援する側になります。
(「○○ちゃん、がんばれ!」みたいな掛け声をかけます。)
そしてまたじゃんけんで持つ人、飛ぶ順番が決まります。
これは単純に輪ゴムを繋げる作り方。でもすぐに切れるので、あまり人気がない。
こちらは輪ゴムを二つ折にしながら組んで作ります。個数がかかるけど、スタンダード(^◇^)
その頃はゴムなんてわざわざ買うものではなかったので、
魚屋さんや肉屋さんが新聞紙などに包んだあとに使う輪ゴムを集めて作りました。
だから、台所の食器棚のつまみ(ノブ)などが輪ゴムを引っかけておく場所になっていました。それはゴムとびのためにではなく、物を捨てるという習慣がなかったからです。だから、ゴムとびのために自分の遊びのために全部もらう、ということについては、ちょっと抵抗がありました。
自分の記憶はここまで。
どなたか、訂正があったらお願いします。
特に「技」の名称については、自信がありません(*^_^*)
火薬庫 ― 2013年01月11日 13:47
幼い頃は、この場所が怖くて怖くて近寄れませんでした。
「かやっこ」と呼んでいましたが、正確には「火薬庫」。
「かやっこ」と呼んでいましたが、正確には「火薬庫」。
その場所が、写真の背景に写っている場所です。
写真は冬の風景なので落葉していますが、ちょっとして森(林?)で、
周りをバラ線で囲っていて、誰も中には入れませんでした。
見えるのはうっそうとした木や草の中に、コンクリートでできた四角い小さな建物があり、南京錠がかかった鉄の扉だけ。
噂では、夜になると女の人の鳴き声が聞こえたり、
わら人形を打つ金づちの音が聞こえる…とかなんとか。ひぇ~(@_@;)~
戦時中の建物だったのだと思います。
この雪景色は田んぼと畑でしたが、今は住宅地になっています。
我が家の玄関から西方向に見えた風景です。
写っている家は、電電公社の独身寮の寮母さんが住んでいた宿舎です。
そして女の子は、まさしく本物の「おこちゃん」ですね。
当時のアルバムはご覧の通り、四隅を三角のシールみたいなものに写真を入れて貼りつけました。
ボンボンリボン ― 2013年01月11日 21:09
3.11から1年10ヶ月 ― 2013年01月11日 22:34
今日は1月11日。
あの日から、1年と10ヶ月がたちました。
今日ラジオの番組で、リスナーの方からのこんな葉書が読まれました。
「仮設住宅で生活していますが、1年前と何も変わっていません。」
若いご夫婦のようでした。
そして、その後ニュースで聴きました。
東日本大震災での岩手県の行方不明者は1200人(ごめんなさい、運転中だったので正確な数字を聴き逃しました)。
今日も震災行方不明者の捜索作業が行われました。
、と。
今でもダイバーが、冷たい海の中を捜索しているんです。
・・・「できること」を続けている。
今日も地震がありました。
今週は2回目です。
あの日から、1年と10ヶ月がたちました。
今日ラジオの番組で、リスナーの方からのこんな葉書が読まれました。
「仮設住宅で生活していますが、1年前と何も変わっていません。」
若いご夫婦のようでした。
そして、その後ニュースで聴きました。
東日本大震災での岩手県の行方不明者は1200人(ごめんなさい、運転中だったので正確な数字を聴き逃しました)。
今日も震災行方不明者の捜索作業が行われました。
、と。
今でもダイバーが、冷たい海の中を捜索しているんです。
・・・「できること」を続けている。
今日も地震がありました。
今週は2回目です。
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