「ぎふ」って書けますか2015年08月05日 10:27

帰りの飛行機は、添乗員さんの隣の席でした。
そこで、ツアーのアンケートを書くことになり、
当然、『添乗員の対応はどうでしたか?』みたいな質問もあるわけで。
でも、とてもいい人だったので問題なしでした。
それより、自分。
その人は仲間由紀恵に似た感じの女性だったのですが、
なんと岐阜に住んでいて、仕事のときは東京から海外に出かけているそうで。
自称「出稼ぎ」と言っていました。おもしろい。
で、岐阜の話になり、思わず「あれ、私、ぎふって書けないかも。」と唖然。
確かに若いときは書けたのですが、ほらこうしてワープロやらメールやらが便利なもので、いくら指でなぞってみても、書・け・な・い!
添乗員さんは、「なかなか書ける人、いないですよ。唯一、学校で習わない漢字2文字の県名ですから。」と言ってくれました。…確かに。
北海道・北東北なんて、見てくださいよ。
北の海の道、青い森、秋の田んぼ、岩の手、山の形、宮の城、福のある島…。
特に北東北は、低学年で習う漢字ばかり。(北海道もね)
なんて楽ちん。

ということで、家に帰って学習しました。
「岐阜県」について。
まずは漢字練習を少し。
県庁所在地は、岐阜市。人口は40万8千人。盛岡より多い。(盛岡より少ない都市を探すほうがむずかしいか)
岐阜県で思いついたワードは、白川郷ぐらいだったのですが、
そうだよ、言われてみれば、飛騨高山、北アルプス、中央アルプス、
埼玉県熊谷市と最高気温を競っている?多治見市も岐阜県じゃないか。
私はこの56年間、テレビで何を見ていたのか。

それよりびっくりしたのが、岐阜県の隣接県。
なんと岐阜県は、富山県、愛知県、三重県、滋賀県、福井県、石川県、長野県の、
7県と隣接しているのです。調べてみるものですね~。まるでオーストリア~♪
岩手県なんか、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県、それだけです。
(青い森、秋の田んぼ。)→(富んだ山、愛を知る。かっこいい)

というわけで、もう岐阜という漢字は完璧です。
岐阜県民のみなさん、今までごめんなさいね。

ちなみに、岩手の由来ですが。

伝説では、昔この地方に『羅刹』という鬼が住んでいて、

住民に悪さを働いていました。
そこで住民は三ツ石の神に祈り、鬼を捕えてもらって、

境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。

捕えられた鬼は「もう二度と悪さをしません。この地に二度と来ません」と言って、

約束の証として三ツ石に手形を押しました。

そして住民はその鬼を逃がしてやりました。

というわけで、この三ツ石という大きな岩に鬼が手形を押したことから、岩手になったということです。

三石神社には、盛岡市の観光名所のひとつで、その手形がついた石もあります。

イギリス・フランスの旅 ハプニング大賞2015年08月01日 21:10

第1位 おこちゃん、ロンドンで財布を落とす

確か前回は旅の初めにパスポートを落としましたよね。
今回は、お・さ・い・ふ♪
ロンドン市内を観光しているとき、まだ1円いや1ペンスも使っていないというのに、大事なお財布を落としてしまいました。
しかも自分は全く気付いていなくて(あのときと同じ)、観光バスで同じ席に座っていた男の子が気付いて拾ってくれました。
もしそのままバスとお別れしていたら…。
それからは、お財布とバッグを紐で繋げて、落し物対策をして観光しました。
ちなみに今回パスポートは、小さな巾着を作って腰に巻き付けました。
前回はガーゼだったので、少しばかり工夫したのさ。

第2位 スーツケースがパリに置き去り

いよいよ旅も終わり、羽田でみんなとお別れをしようというとき、
「おこちゃんのスーツケースが飛行機にのって来なかったらしくて、まだパリです。」
と告げられました。
エ~??\(゜ロ\)ナンデソウナルノ(/ロ゜)/ → (もしやぶたちゃんの仕業?)
結局私のスーツケースは次の便で送られて、無事に翌日、自宅に配送されました。
(料金はエールフランスもち)
いったい何が起きたのか。
聞くと、パリで黄色いスーツケースがポツンと残っていたようです。
想像すると、ちょっと笑えます。

第3位 私より上のはぐるま(ハグる魔)に会う

コッツウォルズを散策中に、とあるお店でウィリアムモリスのマグカップを買おうかどうか迷っていたとき、日本語を話す男性と遭遇。
「日本人ですか?」と聞かれ、岩手から来たことを話すと、なんとその人は岩手県花巻市の出身らしく、しかも宮沢賢治と親戚?らしくて、
いきなり親近感がわきました。(どちらかというと、むこうが)
その人、及川さんという初老の男性は、日本にいてもすることがなくて、どうやらクルーズでこれから北欧まで行くらしい。つまりはお金持ち。
店を出るときにお別れの握手を求められ、さらには「ハグもお願いします。」と言われ、なんで私がこの人とハグをしなければならないの、と思いながら応じました。
(実はこの人を通じて、ハグをされる側の気持ちを悟ることができた貴重な経験)
その後及川さんとは、立ち寄る村々で何度も会い、
さすがにもう握手もハグもしませんでしたが、縁とはこういうものなのだと実感したおこちゃんなのでした。

第4位 パリのバスでいきなり下ろされる

ひとつ前の記事で申し上げました。


第5位 財布を落として感謝される

帰りの飛行機の中で、私の財布を拾ってくれた中2の男子のお母さんに言われました。その子ゆうちゃん(偶然にも私と同じ漢字)は、あのとき私に何度も感謝の言葉を言われ、『命の恩人だよ』とまで言われ、それが本人にはとても嬉しかったみたいで、その後の旅で自信につながったというのです。
私には詳しいことは分からなかったのですが、親にはどうやら息子が一回り成長したように感じたらしく、私はそのゆうちゃんママにえらく感謝されました。
最後に羽田で解散して、私は旅の途中で食べようと思っていた岩手のお煎餅と、東北版の柿ピーをゆうちゃんに、それからパリで10歳の誕生日を迎えた妹のかおるちゃん(私はかつて杉田かおるに似ていた時代もあったので、この兄妹には何かと名前に縁があった)に、英語で書いたパクパクの折り紙をあげました。
親子3人で海外旅行。きっとお金持ち。そんな金持ちに柿ピーと折り紙をあげたおこちゃんっていったい…。

第6位 ロンドンで道に迷う

地図を手に、「エクスキューズミー♪」と声をかけたら、その人はフランス人で道がわからない。
次の人に同じく「エクスキューズミー♪」と声をかけたら、今度はどこの国の人だったのか聞いたこともない言語が帰ってきてアウト~。
少しへこたれましたが、今度こそ!と声をかけたら、やっとロンドン市民に当たり?
正しい方向を聞くことができました。全然違う方向を歩いていたので、それにもびっくり。

第7位 買いたくないものを買ってしまった

ロンドンでお惣菜屋さんに入り、サンドウィッチを買おうとしたら、たまたま「これはなんですか?」と聞いただけの三角の大きな春巻きみたいな食べ物を、なぜか買うはめになってしまいました。
食べたらとてもスパイスがきいていて、モロッコ的な食べ物だったように思います。
不味くはありませんでした。でも売れ残りだったのが妙に気になります(笑)

第8位 モン・サン・ミッシェルでホッカイロ

日本の猛暑とは違い、イギリスもフランスも寒かった。
特にモン・サン・ミッシェルは気温が15度ぐらいで、天候は雨。
観光バスは暖房をつけてくれましたが、服がずぶ濡れだったので、
まさかのホッカイロをおなかに貼りました。
まさか使うとは思っていなかったけれど、持ってて良かったホッカイロ。

第9位 林さん

行きの飛行機で隣りに座った人は、20代の男性でした。
横顔は小栗旬。正面は阿部寛。文句のない顔立ちで。性格も良く…。
名前を聞く前に、「もしかして小林さんですか?」と聞いたら、
「いえ、林です。」 うーん惜しい。
林さんは、パリからあと二つ飛行機を乗り継ぎ、コスタリカに行ってウミガメの産卵を見るのだと言っていました。
ハプニングではありませんが、とりあえずびっくり大賞。私ってすごい。

第10位 おこちゃん、添乗員に間違えられる

車内観光のときに、パリのシャイヨー宮というところが、エッフェル塔の撮影スポットということで連れて行ってもらいました。
確かに高台から見るエッフェル塔が近い。綺麗。素晴らしい。
すると若い男女に「日本人ですか?」と尋ねられ、「はいそうです。」と答えたら、
「写真をとってもらえますか?」と言われました。
パリではカメラを頼むとそのまま持ち逃げされると注意されていたので、そうだよ、日本人に頼むのが一番。とおばちゃんはハッスルハッスル。
私はかつてりんごちゃんに、他人の写真を撮るのだけはやめた方がいい(まごつくし下手だから)と言われていましたが、頼られたのだから仕方ない。ふふふ。やるっきゃない。
しかし二人はいきなり両手をつないで丸を作り、「エッフェル塔をこの丸の中に入れて写してくださーい。」とあれやこれやと注文してきました。
はいはい、新婚さんかな。なんでも叶えてあげましょう。
すると、次々に日本人が私にカメラを渡してきて、「お願いします。」「お願いします。」と言ってくるではありませんか。
終いには「ありがとうございました。どちらの添乗員さんですか?」なんて聞かれ、
はあ?私、自分の集合時間に間に合わなくなりそうなんですけど~って感じで、
慌ててバイバイして帰ってきました。 
私が小旗を持って歩いていれば、もしかしたらパリにお似合いってこと?
おもしろすぎです、マダァ~ム。

第11位 国際電話で食事に遅れる

毎朝みゃむに電話しました。
調子にのって長電話していたら、食事の時間に遅れてしまい、
ツアーの人が「大丈夫?」って心配してくれました。
きっと何かの理由で寝坊したのだと思ったのしょう。みんな優しい…。
だから、「夫に大相撲の結果を聞いていたの。」なんて、とても言えない。
とりあえず白鵬優勝おめでとう。



                       ~あのメッセージ、その後~

震災時の感謝の気持ちを書いたメッセージ、全部渡し切ることはできませんでした。
でも、ホテルでチップと一緒に置いて来たり、もちろん折鶴も添えて、
レストランのトイレのちょっとした棚や、空港の長椅子に置いて来たりしました。
直接渡した人もいます。
ルーヴル美術館のベンチで一休みしていたときに、隣りに座ったご夫婦。
バスで隣りに座ったご婦人。
どんな風に思ってくれたかはわかりませんが、自分の気持ちは伝わったかなと思います。
そしてこの活動は、これからも続けていきたいと思いました。

ということで、旅行記はこれをもって終了といたします。
思い出したらそのときにまた。

こころは次の旅、ウィーンへ。


フランスの旅~パリ~2015年08月01日 20:08

イギリスは下見、パリはおさらい。
というと大袈裟な話ですが、2年前のパリ観光は早朝から日が暮れるまで、
海外旅行が豊富なご夫婦と一緒に自分の足で市内を見て歩き回ったので、
今回のバスでの名所観光は、本当にさらりと「おさらい」したようなものでした。

むしろ問題は、2日目の自由行動。ちょっと長くなりますがお付き合いください。

今回のホテルはパリ郊外のサンモーリスという場所にあったこともあり、
確かに地下鉄はありましたが、地下に30分も拘束され続けることに自信がなくて、よし、バスで出かけようと決めました。
(風景が見れたほうが正直安心だったことが、第一の理由)
切符は地下鉄もバスも同じ。値段も均一。これなら何があっても大丈夫…だろう。
と、ホテルのすぐ近くの24番というバスに乗りました。
(帰りも24番に乗って来れば戻って来れる!)
バスは地下鉄と違って、市民が利用してて安心でした。(スリがいない)
でも、あらら。
乗ってしばらくしたら、まだ中心地についていないのに、なぜか終点。なぜ?
運転手さんが、「下りてください。」みたいな仕草をしたので、
慌てて「私はルーヴルに行きたいのさ!(さ、は東北弁)」と伝えました。
しかし運転手さんは、向うに見えるバスに乗り換えなさいみたいな仕草で、
「さっさと下りて下りて」。と指をさすばかり。

えぇ~~~~~~~~~~~!?
しょっぱなからハプニング?
予定では、セーヌ川を眺めながらノートルダム寺を見て、
少し行ったら目的地のルーヴルに着くはずだったのですが。おいおい。

仕方がないので、交差点を渡って言われたとおりに、
停車している24番のバスまで歩きました。
しかし、中には運転手がいるもののスマホばっかりいじっていて運転する気は全くなし。
ずいぶん辛抱強く待ちましたが、しびれを切らしたほかの男性客がドアを叩いて早く動かせみたいなことを言い始めま、それでも運転手は完全無視。
どうしたらいいのかわからない私は、そばにいた男性にまたしても「私はルーヴルに行きたいのさ!」と訴えました。
するとその男性は、バスに乗るより歩いたほうがいい、みたいなこと言いました。

はいはい、よくあります。
例えば、盛岡駅で観光客に「石割桜までバスに乗りたいのですがどのバスに乗ったらいいですか?」と聞かれると、
盛岡市民はたいてい「近いからバスじゃなくて歩いて行きなさい」みたいなことを言います。そうそう、今回はそのパターンでした。

旅にはハプニングがつきもの。しかもそれは楽しみでもあります。
だから私は、もうバスはあきらめて、この人の言うとおりにセーヌ川の美しい風景を眺めながら歩くことにしました。メルシー♪




確かに朝のセーヌ川には誰もいなくて、花壇には花が咲いていて、
ゴミも落ちていなくて綺麗でした。
せっかくだから、恋人たちが岸辺に腰を下ろして寄り添っているみたいに自分も座り、靴が脱げないように気をつけながら、足をぶらぶら。
あのとき、もし靴をセーヌ川に落としていたら、もった旅は面白くなっていたかもしれませんが、そこは大人。つま先はしっかりと立てていたのだ(笑)

だいたい満足したらまた歩き、しばらくするとシテ島に着いたので、
予定外でしたがノートルダム寺院に寄り道しました。
ステンドグラスの上品なこと。バラ窓がきれい。あぁ、すごい。
そのまま院を通り抜けて、ルーヴル美術館に向かいました。
それにしてその道のりは遠かった…。
あの時バスに乗れていたら~、あの運転手~っ(怒)


ルーヴル美術館は、少し出遅れたこともあってチケット売り場に長蛇の列ができていました。
でも私は既にチケットを持っていたので、スムーズに入場できました。
事前学習は完ぺきだったのですが、夏休みということもあってか人、人、人。
すごいことになっていました。
しかも、入場者のほとんどが中国人。ここはどこ?もしかしてチャイナ?ミタイナ?



ルーヴル美術館の構造はほぼ完ぺきなつもりでしたが、結局迷いました。
何度も同じ廊下を行ったり来たり。モナリザに会うために何往復したことか。
中国人に交じって、一番前列で見れました。
すごい。すごい。すごい。
ここでsakuraさんは、ポルトガル人と3人でモナリザを独占したのかと思いました。

ほかにも、どうしても観たかったのが、『ナポレオンの戴冠式』。
これは感無量でした。
ナポレオンが、絵の中に入っていけそうだと言っただけあって、すごい迫力。
しかも絵の舞台がさっきまでいたノートルダムときたもんだ。



ほかにも観たかった『王妃マリガリータの肖像』は、時間が足りなくて諦めました。
実はこの絵、私の好きな『亡き王妃のためのパヴァーヌ』という曲の、その王妃の肖像画とも言われていて、どうしてもその王妃のお顔が観たかったのでした。
事前学習によると、まだ幼い少女のころの肖像がなのですが、それがとてもかわいくて美しくて。
しかし、すでに『サモトラケのニケ』も観たし、『ミロのヴィーナス』も観たし、
今日はほかにも行きたいところがある!
マルガリータ妃は夢の夢でいいのかもしれない、
そう心に言い聞かせました。

ちなみに、『サモトラケのニケ』については、
前の英会話のリリー先生の専門分野が古代芸術だったので、英語の授業で教えてもらっていました。
ニケはギリシャ神話に登場する「勝利の女神」であり、ローマ神話では「ヴィクトリア」にあたるとのこと。
私たちがよく使う勝利のVサインはこのVから来ていて、またナイキの社名のニケ(NIKE)にも由来していること。
映画『タイタニック』の二人が船の先に立って両手を広げるシーンもニケの真似だということも、リリー先生は教えてくれました。
確かに、サモトラケのニケは船の上で大きく翼をVの字に広げていました…。
おおおぉぉ~。

後ろ髪を引かれる思いでルーヴル美術館を出た後は、目指すはオペラ座。
の、前にオペラ座の後方にある高級デパートの屋上から見る景色が良いという情報を添乗員さんからゲットしていたので、まずはそこに向かいました。


そしてデパートの大食堂、いわゆるマルカンデパートの食堂みたいなところで、
生のオレンジジュースを絞ってもらい、タルトを買って食べました。

デパートはそれはそれは立派な建物でした。
しかし、ここも中国人がいっぱい。


デパートとしては、何にも買わない日本人より、たくさんブランド品を買っていく中国人は、ありがたいお客様に違いない。


そそくさと私はデパートを出て、オペラ座見学をしました。


その日は何も公演がなかったので、館内をゆっくりと見学できたし、ホールの中も見ることが出来ました。
しかもラッキーなことに、一瞬ステージの緞帳(どんちょう)が上がり、大道具さんがなにやら作業している風景も見ることができました。
ステージ、広っ。びっくりしました。


とにかく豪華なオペラ座でした。
こんな女の子もいました。な、なに???


その後はオペラ通りをぶらぶらと歩き、PAUL(ポール)という美味しいパン屋さんで10個入りの小さくて丸いドーナツを4個だけ買い、
立ち食いしたかったけれどぐっとがまんして、チュイルリー公園のベンチに座って食べました。あんドーナツかと思ったら、チョコでした(笑)

そろそろ足の先が痛くなり始めていましたが、
せっかくパリに来たのだ。あそこに行かなくてはなるまい。

向かった先は、オランジュリー美術館。
モネの庭の水連の池をモチーフにした連作8枚が展示してあるところです。




これら8枚の絵は、すべて池の水面でおおわれており、
柳の木、水面に浮かぶ水連、水中の茎や水草、水面に映った空や雲、太陽、樹木が、一体となって描かれていました。

地下にも、ルノアールの『ピアノに寄る少女たち』、セザンヌの『セザンヌ夫人』、ユリトロの『ラ・メゾン・ローズ』、ピカソの『タンバリンを持つ女』などなど、
美術の教科書に出てくる絵がたくさんありました。

事前学習によると、オランジュリーとはオレンジの温室という意味らしく、
もともと温室だった建物を美術館に改築したのだそうです。
なるほと、屋根はガラスばりになっていて、絵画を自然光で見れるというのも素敵でした。



ここまでで、だいたい2万歩ぐらい歩いたかもしれない。今度こそ24番のバスでホテルに帰るぞ。
ということで、帰りは当たり前ですが途中でバスが止まることなく、スムーズに運行してくれました。

バスを下りて近くの大きなスーパーに寄り、夜に食べる食料を調達。
果物やお菓子、飲み物などを引きずるカートにポンポンと入れ、
日本では経験できないレジを、なんとか通って支払いを済ませ、
無事にホテルに帰ることができました。

これは、前回のフランス旅行でも気になっていた桃です。
日本の桃とは大違いの、まるでつぶれた桃?


味は? ズバリ、『昭和のお盆の味』でした。

フランスの旅~モン・サン・ミッシェル~2015年07月31日 19:37

モン・サン・ミッシェルに続く車窓からは、地平線に沈む太陽と美しい雲、夕焼けに感無量。
バスか見える街並みもかわいくて、決して立派な家ではないのですが、
平屋の家にブランコがあったり、自転車があったり、もちろんお庭もあって、
観光バスの高い座席からは色んな生活の風景が見えて、
バスは4時間走行していたのでみなさんお疲れで休んでいましたが、
私はもったいなくて一睡もできませんでした。
そして、最初は小さく見えたモン・サン・ミッシェルが、少しずつ少しずつ大きく見えて着て、私たちが泊まったホテルに着いた夜の10時半にはあたりがすっかり暗くなっていました。
ライトアップされたモン・サン・ミシェル。
反対側の空に月が見え、とても素敵でした。
とても幻想的な風景を楽しむことができました。

よし、明日はいよいよ、モン・サン・ミッシェルだ!


本物はもっと明るく見えたのですが、カメラがどうも、それなりなので…。



翌朝。
ホテルの朝食は、こんな風景が見れました。
この道をシャトルバスでまっすぐ行けば、モン・サン・ミッシェルです。





さて、モン・サン・ミッシェルとは、モン(山)、サン(聖)、ミッシェル(ミカエル)ということで、大天使ミカエルの聖なる山という意味です。
1世紀は小さな修道院だったものが、どんどん増築され、今に至っています。
途中、牢獄に使われたり、要塞になったりと、歴史を感じる島でした。

ではざっと写真が続きます。

島の入り口には門があります。


長い長い石段を上がる、上る、上がる。


まだ続く。




頂上はこんな感じ。
塔のてっぺんには重さ1トンのミカエル像がたっていました。


中はこんな感じです。


雨が強く降ってきました。
それもまたよし。(又吉ではない)


ステンドグラスの外に海が見えました。


干潮だった海に海水が…。


雨のモン・サン・ミッシェルも趣があってよろしい。


お土産屋さんが並ぶ狭い通り、ガランドリュ。



プラームおばさんのオムレツは、今でも調理風景を見ることができました。



昼食は、島を離れてすぐのレストランに行きました。
オムレツ、サーモンのクリーム添え、林檎のタルトを食べました。
雨でぬれて寒かったので、念願のホットチョコレートも飲みました。
美味しかった。

事前勉強によると、このモン・サン・ミッシェルは、広島県廿日市市(はつかいちし)と友好都市だそうで。
なぜかというと、潮の満ち引きを利用した神社をもつという共通点、
つまり私が広島旅行で二日に渡って訪れた厳島神社と共通点があるということで、
意外なところに意外な共通点があり、私はとても感動しました。
嗚呼、世界遺産。

フランスの旅~モネの庭・ジヴェルニー~2015年07月30日 23:28

この庭を訪れるということで、美術というより当時の倫理社会の勉強を思い出した私。写実主義から印象主義へ。
19世紀半ばにフランス起きた芸術の運動です。

でも、そんなに難しいことは全く感じさせない、そこはとても美しい村ジヴェルニー。人口がたった500人。
当時は画家たちのコロニーだったというから、なるほどその美しさと言ったら言葉にはなりませんでした。








池の周りにはたくさんの花が咲いていました。
どの花も特別な花ではなく、日本の田舎に咲いている花。
しかも昭和の花ばかりでした。
おそらく、この庭は当時のまま生かされているのだと思います。

モネの家には、日本の浮世絵のコレクションがたくさん飾ってありました。
アトリエは、その時のままでした。


そしてこちらは、売店です。
モネモネモネモネ 萌え~じゃなくて、Monet~~~~~~。




ここはどうやら治安がいいらしい。
                  ↓



私が初め本物のモネの絵を見たのが2001年。
岩手県立美術館で開催された『モネ展~水連の世界~』でした。
マルモッタン美術館からたくさんの作品が日本にやってきて、
そのときの感動は今でも忘れられません。

だから今回、この庭を訪れることが出来て、
ましてや水連の咲く季節に訪れることが出来て、
本当に幸せだなぁと思いました。

ずっと憧れていたイギリスのコッツウォルズ、
そしてここ、モネの庭。
続くはモン・サン・ミッシェル…。
私のために用意されたツアーでした。

イギリスからフランスの旅~ユーロスター~2015年07月30日 21:26

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを きいている 
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ 泣いていました
ああ 津軽海峡冬景色~♪

の、津軽海峡海底トンネルより少し短いドーバー海峡海底トンネルを通って、
ロンドンからパリにこの国際高速列車を使いました。

ロンドンを出るときには、当然ですが出国手続きがあります。




重たいスーツケースを、座席の上に乗せなくてはいけなかっので、
男性陣にはずいぶんお世話になりました。
一人旅の場合は、車両のはじっこにスペースがあるのでそこに置けます。
でも、こちらは29名の団体だったので、そこには置ききれませんでした。


さて、前回のフランスの旅でもかなり重要だったトイレ問題ですが、
イギリスでは全くトイレの不便さは感じませんでした。
例えば下の写真。
シェイクスピア生誕の町にあった公衆トイレ(有料)です。
入口に小銭を入れるところがあり、自動で扉のロックが解除されます。
中も比較的きれい。




しかし、フランスのトイレ事情はこうはいかない。
パリに向かうユーロスターから、この問題は発生しました。
したがって、写真はありません。

ちなみに、トイレの使用料は、
イギリスが50ペンス(約100円)、フランスが20フラン(30円)。
100円払っても、きれいなほうが断然いい。


トイレの話になると、ほんと。日本って素晴らしいです。
コンビニでも気軽にトイレを借りられるのですから。

ちなみにですが、ルーヴル美術館。
本当に中国人が多かった。周りを見ればほとんどが中国人。
だからというわけではありませんが、
ルーヴル美術館のトイレが、今回の旅で一番ひどかったです。
あれには参りました。




イギリスの旅~コッツウォルズ~2015年07月30日 09:55

この日は、3か所の町と村を巡りました。
私にとっては、そう、下見です。



~ストラトフォード・アボン・エイボン~

シェイクスピア生誕の地。エイボン川のほとりにある素敵なところでした。
一般の住まいはこんな感じ。








この墓地にはシェイクスピアのお墓があります。



ハナを思い出した瞬間…。



お土産やさんもかわいい。




このお店で、アフタヌーンティーに挑戦。



でも、実際注文したのは上の看板にあったクリームティー。昼食時でもあったので、キッシュとラズベリーケーキも注文。
偶然同じお店に昨日のパブ仲間がそろったので、3人でシェアすることにしました。



アフタヌーン・ティ-というのは、サンドウィッチとスコーンとケーキが3段重ねスタンドにのっているものなのですが、
私が頼んだクリームティーというものは、その3種類から一つ選んだもの。
私は、中央にあるスコーンと紅茶を頼みました。
ほかの人はサーモンのキッシュとラズベリーケーキを注文したので、
いろいろ食べれて良かったです。
店内は暗くていい感じでした。
どれも、すごーく美味しかったです。
紅茶が薄い感じがしましたが、
本来自分が日本で飲んでいる紅茶が自己流なので、
本場はこういう味なのでしょう。

あっさりとテーブルに注文したものが並んでいますが、
これを注文するまでが大変だった(笑)



~ボートン・オン・ザ・ウォーター~

町の中に川が流れているので、「コッツウォルズのベニス」と言われています。
17世紀の街並みが続いていました。







ここの街で有名なのが、ここ。モデルビレッジというところ。
この町の縮小版で、ちょっとしたガリバー気分を味わいました。




とりあえず、私の靴を置いてみたよ。(煙草もライターもなかったので)
裸足で写真を撮っているおこちゃんを想像してください(笑)






では、ここで問題です。
下の写真2枚は同じ家です。でもどこか違う。
右と左に移っている女性は同じ人です。







~バイブリー~

英国で最も美しい村と言われたところです。14世紀に建てられたままの家並み。
蜂蜜色の村とも呼ばれています。



普通に人が住んでいます。





あ。ブラックスワン?




ゆったりと川が流れていて素敵でした。




イギリスの旅~ロンドン~2015年07月29日 20:47

観光バスから見たロンドンで一番目を引いたのが、
なんと。ラーメンつけ麺僕イケメン、ではなくて、本物の『イケメン』揃いだったこと。
これなら少しぐらい料理がおいしくなくてもいいか、と思いながら、
細身のスーツを着てスラリとした若者を見ました見ました。
あぁ、私があと30年若かったら…。ONE DILECTION にグレーのスーツを着せたような、かわいい男の子ばかりが歩いていました。

おっと。
まさかこんな情報から旅日記が始まるとは思いませんでしたが、
とにかくそれしか印象にない。
夏休みだったので、どこも観光地は人だかりだったのですが、
バスの車窓からは、それが一番の思い出です。

と言いつつも画像は、二階建てバス。
イケメンは写っていないですね(苦笑)
実は、証拠写真が、な・い!
なぜなら、見とれていてカメラを向けることを忘れていた…。




イケメンの次に印象的だったのが、30代から50代の男性のスキンヘッド。
これがまたスーツ姿のカッコよくて。
あれ?いつもの旅印象となんか違う?





ここは大英博物館です。写っている人はおそらくロンドンの人ではありません。
というか、どう見てもイギリス人ではないですね。




韓国人が多かった。
中国人もわかりやすいが、韓国人もわかりやすい。
なぜなら、みんな同じ顔、同じスタイル、同じ髪型。
じゃあいったい日本人はいったいどんな印象なのでしょうね。

ロンドンで一番楽しかったのは、大人の挑戦。
『そうだ、パブに行こう!』




たまたま一人で参加していた30歳の女性と意気投合し、
私一人だったら絶対に入れない、
イギリス人しかいないパブに勇気を持って入りました。
数ある中からこのビールを注文し、数あるメニューの中からミートパイを注文。
ここまで行きつくのに30分はかかったかな。
言葉が通じなくても、やる気さえあればできるもんだね(笑)




私たちが日本人だとわかったら、機嫌よくお喋りをしてくるおじさん(スキンヘッドでしたが、どっぷりと太っていて、イケメンではありませんでした)に、
やれ「イチロースズキ、ドゥーユーノウ?」「ヒデキマツイ、ドゥーユーノウ?」「リョウイシカワ、ドゥーユーノウ?」
と、迫られる、迫られるです。
なんぼおら、いなかもんだって、そのぐらいしってるつの!と思いながら、
笑顔で対応。日本が好きなおじさんだったんですね。感謝です(笑)
ということで、パブでも人気ものだったおこちゃんは、
大人のロンドンを満喫しました。
もうロンドンはこれで満足。




名物のフィッシュアンドチップスも美味しかったです。
イギリスは料理が美味しくない、なんてもう嘘。嘘。

私にとっては、美味しいものが多かったです。

さて明日は、
いよいよ、アフタヌーン・ティーに挑戦です。

またパリに行きたくなった2014年09月12日 20:25


昨日、英会話に行く途中のこと。
信号待ちで右を見たら、
うわ~。全然違うけど、パリにもこんな中庭の風景があったな~。
と思い出しました。
ホントに、全然違うけど…。



そうしたら、
なにやら袋の中からも声がしました。

「ヮタシモィキィタィ○★△☆●×・・・・!」

誰?



パリの秋もいいだろうなぁ。
枯れ~葉よ~♪

行きたいですけど、ハナの生活が第一。

合羽2013年09月05日 23:35

フランスでは、ほとんど晴天に恵まれましたが、
ブ―ヴロンアンオージュ(ノルマンディー地方)で少し小雨に合い、
折りたたみ傘を1回使いました。

万が一のためにスーツケースには合羽を入れておきましたが、
使うことがなかったので、良かったです。



8月はじめ、日本で持ち物のチェックをしていたとき、
私は合羽を目立つオレンジ色の袋に入れました。
「うん、これならわかりやすいだろう!」


しかし、
もしフランスで突然雨が降り、
いざというときに合羽が見つからなかったらどうしようと思ったので、
袋に「合羽」と書けばいいことに気づきました。




でも待てよ、もし私がすっかりおフランスにかぶれてしまい、
合羽という漢字が読めなかったらどうしようと不安になり、
私は油性マジックでこう書きました。
(なぜカタカナで書かなかったのか、今思えば疑問です。)




ところがひらがなで書くと、いざというときに「なんだこれ?」ということになりはしないかとますます不安になってきました。
だから私は、わかりやすいようにイラストを描きました。



合羽?河童?
この時点では、これらが全く違うものだということに気づきませんでした。
「よし、完璧!これなら合羽だとわかる。」
なんて自分はすごいんだと感心しました。
しかも、緑色の輪ゴムがお洒落じゃな~い?


でも実際は、
パリでこの袋を見て「なんだこりゃ?」と思いました。
そして、
やっぱり最初から「合羽」と書けば良かったのになぁ、と思いました。




中身はこれです。
数年前に、ねぶた祭りで大活躍した合羽です。

出番がなくて、良かった良かった…。