六分儀 ― 2026年04月10日 00:50
20代の頃からずっと、入ってみたいと思っていた『六分儀』という名前の喫茶店。
閉店してかれこれ10年近く経ちますが、当時お客さんだったという人が、違う名前で再開しました。
『羅針盤』。
狭いビルの1階、階段を数段上がると奥にドアがあります。
この雰囲気が既に入り難い。
サッポロ生ビーㇽ黒ラベルのCMでいうろ、大人のエレベーターみたいな、そんな感じのお店です。
20代の頃は、入ってみたいけどまだ自分には早い、と思った。
30代、40代は自分が入ったら浮くと思った。(子育て中)
50代、迷っているうちに閉店。
60代、やっとここでコーヒーが飲める年齢になったかも。
よっしゃ、行くぞ。
間口は狭かったけれど、思ったより奥は広かったです。
コーヒーはブレンドを注文しましたが、今まで飲んだことのない味でした。
六分儀の頃からずっと、シャンソンが流れていたらしい。(今も)
どうやら今のオーナーは東京の人らしいです。
学生時代に盛岡に住んでいて、ここが気に入っていたのでしょう。
おおよそ半世紀ぶりに、夢が叶いました。
中から見るとこんな感じ。
場所は盛岡市中ノ橋通り。
わんこそばの東屋のすぐそばです。
後から知ったのですが、チョコレートも有名らしい。
そっか、あのコーヒーの味はチョコが合うかも。
フラワーパン ― 2026年03月28日 20:46
子どもの頃に、「特別」だったフラワーパン。
どうしてこの名前がついていたのか、当時はあまり気にしてはいませんでしたが、
もしかしたらお花の形だから?と思ったのは随分経ってからのこと。
パンの中心に、ピーナッツクリームが入っています。
パッケージに印刷されているとおり、パンを手でちぎってピーナッツクリームをつけて食べました。
パンの生地は昔のままでしたが、クリームがちょっと滑らかになっていました。
昔はもっとシャリシャリしていて、砂糖の粒があったような。
シライシパンのロングセラー商品。
1962年に発売されたというから、みゃむより上だ。(年齢)
さて、3月のある日。
ずっと行きたかったカフェに行きました。
こんなところ。
新緑の季節、また行きたいです。
お客さんが多くて、中を撮影することが出来なかったのですが、
とにかくお洒落。
飲み物も、デザートも美味しかったです。
大人の空間でした。
この盛岡市中央公園の中にあるビバテラスは、公園のまわりに雰囲気の良いお店や図書館、保育園等が点在していて、とても素敵な場所です。
いつかみなさんが盛岡にいらしたら、是非ご一緒しましょうね。
アキコ ― 2026年03月17日 21:16
今日、地域の小学校の卒業式に行ってきました。
かつてはマンモス校だった小学校。今年のの卒業生は29名。
(ちなみに1年生は16名)
その中にたった一人、名前に「子」がつく女の子がいました。
おぉ、今どき珍しい。というかすごく新鮮!
星飛馬のお姉さんがこの名前でした。
私のおばさん(母の妹)にも、同じ名前、同じ漢字の人がいました。
そういえば、同級生にも同じ名前の子がいたな。
しかし卒業証書授与式で気がつきました。
その女の子、呼ばれた名前は、「アコ」。
6年前、この子どもたちの入学式はコロナから始まりました。
1年生のときからマスクをして、給食は黙食。行事も縮小。
何が本当なのかもわからないまま、コロナ禍で学校生活を送った子どもたち。
大きく羽ばたいて欲しいですね。
台ふきん ― 2026年03月02日 22:38
若いころ、テーブル拭き、いわゆる「台ふきん」をあえて派手なタオルハンカチにしていました。
赤とか黒とか黄色とか、原色に近いハンカチといえばディズニー。
惜しげもなくミッキーマウスのハンカチでテーブルを拭いていると、
遊びに来たママ友が、「もったいなくないの?」と尋ねましたが、もともとミッキーには興味がなかったし、厚手のタオルハンカチはとても重宝でした。
そもそも厚手のタオルハンカチは、ポケットに入らないし使いにくかった。だからもらっても使わない。だったら使っちゃえ。
といいつつ正直言うと、派手なタオルは汚れが目立たなくて、すごく良かった。、
クリネックスとかスコッティとか、当時のティッシュペーパーは高級品でした。
なので今の若い人たちのように、ちょっと汚れたぐらいでティッシュをバンバン使いませんでした。もったいなくて使えなかった、が正しい。
しかもあれは鼻をかむもの。
確かに衛生的かもしれないけれど、テーブルを拭くのもウェットティッシュ。(ペーパータオル)
内心、もったいない、ゴミが増える、と思いながら、私は台ふき派。
相変わらず、古くなったタオルハンカチでせっせとテーブルを拭いています。(最近はミッキーではないけどね)
私だって、ニトリのペーパータオルを使っているよ。
おそうじシート(ウェットシート)も使ってる。
だけど、もったいないのよ、昭和の人間。
さて、今日は片づけをしていて、このTシャツは捨てよう、と決めました。
もう何年も着ていない。丈がちょっと長いのと、襟ぐりが開き過ぎているので、
今のデザインではありません。
よっしゃ。次のお仕事をしてもらおう。
チョキチョキ切って、大きなガラス瓶に詰める。
ちょうど1枚分が入ります。
これを流しの隅に置いておいて、ちょっとした汚れを拭くのに使います。
お皿の油を拭き取ったり、フライパンの汚れをこれで取ったり。
確かにゴミにはなりますが、油を排水溝に流すのは心苦しいし、ペーパータオルを使うのもちょっと違う。要するにケチケチ。
ケチケチといえば、昭和50年代。
私が働いていた保育園の乳児クラスでは、冬になるとティッシュの減りがはやいからと言って、(そんなことを言うのは主任) 彼女の言いつけどおりに時間を見ては、保母たちが2枚重ねのティッシュを1枚ずつにはがし、きれいに畳んでいました。
確かにね、そうすると量が2倍になるし、1枚の方がやわらかいから、赤ちゃんの鼻の下には優しいね。なるほどなぁ~と感心しました。
でも、今なら思う。
どうせ畳んで使うのなら、わざわざ1枚ずつにはがさなくても、半分に切れば良かったんじゃないか?(笑)
はは~ん、私のこういうところが、赤ちゃん組の担任にはなれなかった理由かもな。
ダブル主演、みたいな ― 2026年03月01日 17:22
おそらく50年ぶりだと思う。
やっと見つけた、というわけでもない。
存在は知っていたけれど、売り場で見かけたときに食べたいと思わなかっただけ。
それで今やっと、食べてみたいと思いました。
あぁ、これが私が高校生のときに、好んで食べていた菓子パン。
でも私が食べたみつわパンは、
うぐいすのほうは、記憶ではもっと豆感がありました。
粒餡っぽい感じかな。
白あんは、白松がモナカとかあんドーナツとか、好んで白を食べてきたためか、
当時の餡の記憶があまりない。
これまであまり考えたことがなかったけれど、
地方のパンメーカーって、潰れてしまったところが多いようです。
もちろん生き残っているところはありますが、ちょっと残念だと思いました。
もし当時苦労してゲットした菓子パンを、今食べることが出来たとしたら、、
「なつかし~」
「そうそう、これこれ」
と感動できたのかな。それも微妙。
美味しいものが世の中にはあふれていて、
もしかしたら、「こんなだったっけ?」と思うのかもしれないね。
そう思うと、多少の改良がなされているとはいえ、ベストセラー商品というのは凄いことですな。
次はフラワーパンを食べてみよう。
うぐいすパン ― 2026年02月16日 22:06
高校生のとき、私は一関市に住んでいたのですが、
高校の購買で売っていたパンは「みつわパン」という工場で作られたものでした。
盛岡だったらシライシパン、北上、花巻だったらオリオンベーカーリーなど、岩手にはいろんなパンのメーカー(工場)がありますが、当時の一関のスーパーで売られていた菓子パンは、殆どがみつわパンでした。
購買は、保健室の前にありました。
何時から開いていたかは忘れましたが、午前中のどこかのタイミング(例えば2時間目と3時間目の間の10分とか)に走って行けば、お目当てのパンが買えました。
私はお弁当を持参していたので、そこまでパンには執着していなかったのですが、
みつわパンで初めて知った「うぐいすパン」と「しろあんぱん」が大好きで、いつもお腹を空かせている友だちが、パンを買に行くというときだけ一緒に走って行きました。
木製の平らな箱に箱に並べてあるパン、パン、パン。
私のお目当てのパンは、3つか4つしか並んでいなくて(仕入れていなくて)、
タイミングがずれると、もう売り切れ。
ラブコメ漫画じゃないけれど、1つしかないパンを男子と女子が一緒につかんで、手が触れた、なんてこともありました。
というか、私のライバルは男子生徒でした。
「え?この人いつもうぐいすパンを買ってる!」
なんで?
(男子がうぐいすパンを買ってはいけない理由はないですが)
私なんか友だちに、「どうしてそんな地味なパンが好きなの」と言われていたのに、
実はライバルが男子生徒だったとは、ちょっと意外、というか可笑しいでしょ。
古文の先生とかならともかくさ。(笑)
そんな思い出のうぐいすパン。
スーパーで見つけました。
もちろん、みつわパンはとっくに無くなっているので、シライシパン製。
やった!
即、カゴに入れました。
わくわく。どんな餡だろう。
やっぱり緑色の餡だよね。
割ってみた。
え?どういうこと?
餡がない。
よくよく見たら、うぐいすという文字は小さくて、パッケージには豆パンと書いてあった。が~ン( ̄ロ ̄lll)ソウイウコト?
私が50年前に食べたうぐいすパンは、緑色の餡がたっぷり入っていました。
今思うと、その緑色の豆の正体がいったい何の豆だったのかは不明ですが、とにかく甘くて豆の香りも食感も残っていて、私好みの味だった。
しかし、うぐいす豆を調べてみると、「さやえんどう」と書いていました。
しかも、さやえんどうは完熟するとグリンピースになるらしい。
え~?あれってグリンピースだったの~?(いやいやそんなはずはない)
ちなみに、今日のパンの原材料には、「青えんどう豆」と表示されていました。
やっぱりそうなのか(/ω\)
そういえば、フジッコかなんかの煮豆で、うぐいす豆を見たことがあるな。
あぁそういえば、甘納豆にも緑色のがあるな。
じゃあ、それとパンを一緒に食べればいいか。
1、2、3、1、2、3 ― 2026年02月11日 20:18
銭湯、ストローと昭和の思い出が続いたところで、今日は予防注射のお話です。
小学生の頃、学校で注射をする日がありました。
6年間のうち数回でしたが、低学年の頃の記憶が結構あって、
講堂みたいな場所に白衣を着たお医者さん(だと思う)が数人座っていて、
その人の前に長い行列。
今なら考えられない、集団接種の実態は・・・?
「1、2、3、1、2、3、・・・」
先頭の子から数えて、自分はいったい何番目だろう、それが知りたい。
というのも、当時は注射器に数人分の薬を詰めて、同じ針で複数の人に刺していた。(いわゆる使いまわし)
それが3人分だったら、最初の人が痛いとか、最後の人が痛いとか、だったら2番目はどうなのか、とにかくみんな、痛いのが嫌でした。(特に男子)
ちなみにBCGのハンコ注射は昭和42年4月から始まったそうですが、
私たちは出始めの頃だったので、とにかく情報が少なかった。
腕にスタンプのようなものを押し付けられて、9個の穴が開いていた。
きれいに乾いていく子がいたり、私のように黄色い膿みたいなのが出ていたり。
それで、お風呂でこすってしまったり、体育でプールに入ったり、みんなが初めてのことだったので、誰も正解を知らなくて不安でした。
あ~思い出してきた。
それを受ける前にツベルクリンという注射を打って、そこが赤くなりました。
そして、数日後に丸のサイズを測られた。
小さいのがいいのか、大きいのがいいのかも分からずに、自分の腕を叩いている子がいた。掻きむしっている子もいた。
子どもが生まれてやっと、ツベルクリン反応が陰性であれば結核の免疫がないということでBCGを接種、ということを理解したような。
あ~それもすっかり忘れてた。
今の子はね、赤ちゃんのうちに、とにかく注射、注射、注射。
ワクチン接種カレンダーというのがあるみたいですね。
ストロー ― 2026年02月09日 20:41
子どもの頃、ストローで味噌汁を飲んだことがありますか?
1 成功した
2 失敗した
私は2の失敗した人です。
その理由は、
1 ヒュッと吸ったら、熱い味噌汁が一気に喉に直撃。火傷した。
2 昭和のストローはお粗末でした。今度はゆっくり吸ってみた。すると見事にストローが熱でピタッとくっついて、穴が残部ふさがってしまいました。(もう使えない)
小学生のとき、理科の実験(工作?)で、ストローと竹ひごと輪ゴムと糸巻きを持って来るようにと言われました。
当時ミシン糸は木製の糸巻きに巻かれていて、いやそれにしても、ミシン糸なんてどこの家庭にもあるわけじゃなかったと思う。
しかも糸を使い切った状態のものを要求しているわけで。
昭和の小学校って、無謀。
その後しばらくストローには縁がありませんでしたが、
高校生になって喫茶店で飲んだアイスコーヒー。レモンスカッシュ。
女子ならともかく男子と一緒のときは、最後のズズズズが恥ずかしかった。
まさかストローが環境汚染の原因になるとは。
なんでもかんでもプラスチック製品になってしまって、後のことを考えない人間は何て愚かでしょう。
そうこう言いながら自分。
ストローのお世話になる日も近い。

銭湯 ― 2026年02月07日 11:47
たまには銭湯に入ってみたいと思って検索して見たら、
もはや盛岡には銭湯がないことが分かりました。
まだ町のどこかに煙突が立っている風景はありますが、近づいて見ると営業はしておらず、確かあそこにもあったと思ってグーグルマップで検索しても、別の建物が建っていたり。
昭和の時代はお風呂なしのアパートがたくさんあって、特に岩手大学の学生は銭湯を利用している人が多かった。
みゃむも学生時代は東京で、風呂なしの6畳間に住んでいたという。
といいつつ、私も赤ん坊のときから銭湯。
母はよく、3時の開店と同時に入って、私を新しいお湯で洗ったと話していました。
赤ちゃんを見たくて、近所のおばちゃんたちが3時に入浴する人もいたらしい。
見たいというより、母親一人では大変だろうからと、お手伝いをしてくれていたのかもしれません。(兄もいたし)
そういうわけで生まれたときから銭湯に入っていた私が、「時間ですよ」のイメージが銭湯はちょっとなと思っていた少女の頃。
なんとなく思春期の子どもが行く場所ではなかったような。(笑)
考えてみると、岩手には温泉がたくさんあるので、車を運転するるようになると銭湯より温泉、しかもスーパー銭湯みたいなものが沢山できて、小さな銭湯を利用することがなくなりました。
今でも「盛岡市銭湯」で検索すると、スーパー銭湯しか出てきません。
ちょっと残念です。
だからドラマとか特番で頑張っている都会の銭湯を見ると、近くにこういうのがあったらいいだろうなとも思います。
あ、そうだった。
私の通っているゆぴあすという温水プールは、実は入浴施設。
よくもまぁこんなに人が来るなぁというぐらい、駐車場が車でいっぱい。
昨日昼過ぎにみゃむと行きましたが、ざっと車が100台あって、ほとんどがお風呂の利用者でした。
そっか、両親も家のお風呂よりそういうところが好きだったな。
人にもよるだろうけど、お年寄りは家のお風呂が面倒で、ぱっと行ってぱっと帰って来れる入浴施設が好きなのかもしれません。寒くないしね。
さて、日帰り温泉とは違う話ですが、
昨日みゃむがテレビを見ていて言いました。
「日帰りJapanっていうの?」
え?誰が?
「オリンピックの人たち」
え~?
あとから検索してわかったらしい。
「スマイルJapanだったかも」(苦笑)
全然違うじゃん。
シーン ― 2026年02月05日 21:04
高校生の時に、お父さんが小さな靴屋を経営している友だちの家に泊まりに行ったことがありました。
一関駅の近くだったので(1階がお店、2階と3階が住居)電車の音や車の音、人の声(酔っ払い)が煩くて、正直眠れませんでした。
しかしその友だちが私の家に泊まりに来て言いました。
「カエルの鳴き声が煩くて眠れない」
確かに私の家は市街地で、田んぼが沢山あったので、夜はカエルの大合唱。
一関なんてたいした都会でもなんでもないのに、まるで「町のねずみと田舎のねずみ」のようじゃん、と思いました。
そして気付いた。静かな場所でしか眠れないと思っていた自分。
カエルの大合唱は気にならなかったんだ、と。
さて、先日のこと。
マツコの番組で、興味深いというか、みゃむといつも話していることが話題になっていました。
それは、こちら。
こういう音は赤塚不二夫あたりが考えたんだろうと話していたのですが、
なんと「ジャングル大帝」だったとは。そう、手塚治虫。(ちょっとびっくり)
シーンという音は、無音だけれど確かに聞こえる。
耳鳴りなのかもしれませんが、確かに私には聞こえます。
アニメ化されたジャングル大帝では、どう表現されたのかは知りませんが、
シーンって、本当に良い表現だと思います。
番組ではこの後、「ガーン」とか「ドキッ」とか色々紹介されていましたが、やっぱり日本語って面白いです。
話は元に戻りますが、
その友だちの家に泊まって初めて知ったこと。
夕飯は個々に食べる。手の空いた人から食べる。
家族そろって「いただきます」は、お店が休みの日だけ。
サラリーマンの家が全てではないことを、初めて15歳で知りました。
そんな友だちの家で、私が翌朝家に帰ろうとすると、嬉しいことが。
私の靴がピッカピカに磨いてありました。
友だちの家は、靴屋というか昔ながらの修理をしてくれるお店。
いろんな道具がたくさんあって、お父さんはいつも自分の工房みたいな場所に座って仕事をしている人でした。
当時、女子高生の多くはローファーを履いていましたが、なぜか私は両脇でストラップを留める女の子っぽいデザインの靴を履いていました。
ピカピカになって、帰りに公園でブランコに乗った記憶があります。
もちろん足を前に伸ばして、靴を眺めながら漕ぎました。(笑)

















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