1、2、3、1、2、32026年02月11日 20:18


銭湯、ストローと昭和の思い出が続いたところで、今日は予防注射のお話です。
小学生の頃、学校で注射をする日がありました。
6年間のうち数回でしたが、低学年の頃の記憶が結構あって、
講堂みたいな場所に白衣を着たお医者さん(だと思う)が数人座っていて、
その人の前に長い行列。
今なら考えられない、集団接種の実態は・・・?
「1、2、3、1、2、3、・・・」
先頭の子から数えて、自分はいったい何番目だろう、それが知りたい。
というのも、当時は注射器に数人分の薬を詰めて、同じ針で複数の人に刺していた。(いわゆる使いまわし)
それが3人分だったら、最初の人が痛いとか、最後の人が痛いとか、だったら2番目はどうなのか、とにかくみんな、痛いのが嫌でした。(特に男子)

ちなみにBCGのハンコ注射は昭和42年4月から始まったそうですが、
私たちは出始めの頃だったので、とにかく情報が少なかった。
腕にスタンプのようなものを押し付けられて、9個の穴が開いていた。
きれいに乾いていく子がいたり、私のように黄色い膿みたいなのが出ていたり。
それで、お風呂でこすってしまったり、体育でプールに入ったり、みんなが初めてのことだったので、誰も正解を知らなくて不安でした。

あ~思い出してきた。
それを受ける前にツベルクリンという注射を打って、そこが赤くなりました。
そして、数日後に丸のサイズを測られた。
小さいのがいいのか、大きいのがいいのかも分からずに、自分の腕を叩いている子がいた。掻きむしっている子もいた。

子どもが生まれてやっと、ツベルクリン反応が陰性であれば結核の免疫がないということでBCGを接種、ということを理解したような。
あ~それもすっかり忘れてた。

今の子はね、赤ちゃんのうちに、とにかく注射、注射、注射。
ワクチン接種カレンダーというのがあるみたいですね




ストロー2026年02月09日 20:41


子どもの頃、ストローで味噌汁を飲んだことがありますか?

1 成功した
2 失敗した

私は2の失敗した人です。
その理由は、
1 ヒュッと吸ったら、熱い味噌汁が一気に喉に直撃。火傷した。
2 昭和のストローはお粗末でした。今度はゆっくり吸ってみた。すると見事にストローが熱でピタッとくっついて、穴が残部ふさがってしまいました。(もう使えない)

小学生のとき、理科の実験(工作?)で、ストローと竹ひごと輪ゴムと糸巻きを持って来るようにと言われました。
当時ミシン糸は木製の糸巻きに巻かれていて、いやそれにしても、ミシン糸なんてどこの家庭にもあるわけじゃなかったと思う。
しかも糸を使い切った状態のものを要求しているわけで。
昭和の小学校って、無謀。


その後しばらくストローには縁がありませんでしたが、
高校生になって喫茶店で飲んだアイスコーヒー。レモンスカッシュ。
女子ならともかく男子と一緒のときは、最後のズズズズが恥ずかしかった。

まさかストローが環境汚染の原因になるとは。
なんでもかんでもプラスチック製品になってしまって、後のことを考えない人間は何て愚かでしょう。

そうこう言いながら自分。
ストローのお世話になる日も近い。


銭湯2026年02月07日 11:47


たまには銭湯に入ってみたいと思って検索して見たら、
もはや盛岡には銭湯がないことが分かりました。
まだ町のどこかに煙突が立っている風景はありますが、近づいて見ると営業はしておらず、確かあそこにもあったと思ってグーグルマップで検索しても、別の建物が建っていたり。
昭和の時代はお風呂なしのアパートがたくさんあって、特に岩手大学の学生は銭湯を利用している人が多かった。
みゃむも学生時代は東京で、風呂なしの6畳間に住んでいたという。
といいつつ、私も赤ん坊のときから銭湯。
母はよく、3時の開店と同時に入って、私を新しいお湯で洗ったと話していました。
赤ちゃんを見たくて、近所のおばちゃんたちが3時に入浴する人もいたらしい。
見たいというより、母親一人では大変だろうからと、お手伝いをしてくれていたのかもしれません。(兄もいたし)

そういうわけで生まれたときから銭湯に入っていた私が、「時間ですよ」のイメージが銭湯はちょっとなと思っていた少女の頃。
なんとなく思春期の子どもが行く場所ではなかったような。(笑)

考えてみると、岩手には温泉がたくさんあるので、車を運転するるようになると銭湯より温泉、しかもスーパー銭湯みたいなものが沢山できて、小さな銭湯を利用することがなくなりました。
今でも「盛岡市銭湯」で検索すると、スーパー銭湯しか出てきません。
ちょっと残念です。
だからドラマとか特番で頑張っている都会の銭湯を見ると、近くにこういうのがあったらいいだろうなとも思います。
あ、そうだった。
私の通っているゆぴあすという温水プールは、実は入浴施設。
よくもまぁこんなに人が来るなぁというぐらい、駐車場が車でいっぱい。
昨日昼過ぎにみゃむと行きましたが、ざっと車が100台あって、ほとんどがお風呂の利用者でした。
そっか、両親も家のお風呂よりそういうところが好きだったな。
人にもよるだろうけど、お年寄りは家のお風呂が面倒で、ぱっと行ってぱっと帰って来れる入浴施設が好きなのかもしれません。寒くないしね。

さて、日帰り温泉とは違う話ですが、
昨日みゃむがテレビを見ていて言いました。
「日帰りJapanっていうの?」
え?誰が?
「オリンピックの人たち」
え~?

あとから検索してわかったらしい。
「スマイルJapanだったかも」(苦笑)

全然違うじゃん。



シーン2026年02月05日 21:04

高校生の時に、お父さんが小さな靴屋を経営している友だちの家に泊まりに行ったことがありました。
一関駅の近くだったので(1階がお店、2階と3階が住居)電車の音や車の音、人の声(酔っ払い)が煩くて、正直眠れませんでした。
しかしその友だちが私の家に泊まりに来て言いました。
「カエルの鳴き声が煩くて眠れない」
確かに私の家は市街地で、田んぼが沢山あったので、夜はカエルの大合唱。
一関なんてたいした都会でもなんでもないのに、まるで「町のねずみと田舎のねずみ」のようじゃん、と思いました。
そして気付いた。静かな場所でしか眠れないと思っていた自分。
カエルの大合唱は気にならなかったんだ、と。

さて、先日のこと。
マツコの番組で、興味深いというか、みゃむといつも話していることが話題になっていました。
それは、こちら。


こういう音は赤塚不二夫あたりが考えたんだろうと話していたのですが、
なんと「ジャングル大帝」だったとは。そう、手塚治虫。(ちょっとびっくり)

シーンという音は、無音だけれど確かに聞こえる。
耳鳴りなのかもしれませんが、確かに私には聞こえます。
アニメ化されたジャングル大帝では、どう表現されたのかは知りませんが、
シーンって、本当に良い表現だと思います。
番組ではこの後、「ガーン」とか「ドキッ」とか色々紹介されていましたが、やっぱり日本語って面白いです。

話は元に戻りますが、
その友だちの家に泊まって初めて知ったこと。
夕飯は個々に食べる。手の空いた人から食べる。
家族そろって「いただきます」は、お店が休みの日だけ。
サラリーマンの家が全てではないことを、初めて15歳で知りました。
そんな友だちの家で、私が翌朝家に帰ろうとすると、嬉しいことが。
私の靴がピッカピカに磨いてありました。
友だちの家は、靴屋というか昔ながらの修理をしてくれるお店。
いろんな道具がたくさんあって、お父さんはいつも自分の工房みたいな場所に座って仕事をしている人でした。
当時、女子高生の多くはローファーを履いていましたが、なぜか私は両脇でストラップを留める女の子っぽいデザインの靴を履いていました。
ピカピカになって、帰りに公園でブランコに乗った記憶があります。
もちろん足を前に伸ばして、靴を眺めながら漕ぎました。(笑)


ライバル2026年01月29日 22:31


私は一度もライバルだとは思ったことはなかったのですが、
46年前に働いていた保育園の主任が、眼の色を変えてライバル視していた保育園がありました。
こちらは2丁目、あちらは3丁目、大きな通りを挟んで(4車線)あっちとこっちに保育園が2つあったのです。
面倒なので、こちらをA保育園とします。そしてあちらがW保育園。
私が働いていたA保育園はニュータウンに初めて出来た保育園でしたが、人口が増えてもうひとつ必要ということで、出来た保育園がW保育園。その差は6,7年といったところでしょうか。

当然かもしれませんが、主任は後から出来たW保育園の保育が気になって仕方ない。
職員の誰かをスパイに行かせたいぐらいの勢いでした。
なので、職員はいつ命令されるか分からないスパイ行為を避けるために、知り得た情報を主任に報告。
「Wが子どもをリヤカーに乗せてお散歩してました!」とか、
「Wは裸足で外遊びさせているようです!」とか。


で、話題は変わります。
今日は朝6時から子どもを預かりました。(託児の仕事)
まだ暗いうちにお母さんが女の子をうちに連れて来ました。
私の仕事は。7時まで家でその子を預かり、保育園に送っていく。
つまり1時間の託児です。
その子は年長さんだったので、持ってきたおにぎりを食べながら、飼っている犬の話やランドセルの話や、歯が抜けた話、入学前健康診断の話をしてくれました。
なので、1時間はあっというま。
そして、7時5分前。
「保育園に行く時間だよ!」
ジャンバーを着てリュックを背負い、向かった先は、
なんと、歩いて5分のW保育園です。
「歩いていくの?」
「そうだよ、今日は歩いていくの」


さあ着きました。
初めて入ったW保育園。
中に入って誰もいない保育室に行き、ロッカーに自分の荷物を入れていました。
はいはい、次は?
出席ノートにシールを貼って、時間外だから別のお部屋に行くんだね。
製作途中の、鬼もお面(張り子でした)も見せてくれました。
私は内心、え?張り子?・・・負けた。と思いました(笑)
一緒に広い保育室に行くと、保育士さんたちが笑顔で挨拶をしてくれました。
お母さんが事前に私のことを話してくれていたので、「あやしい人」にはならずに済んだ。

帰り道、私は思いました。
「44年経ってしまいましたが、主任、侵入捜査を完了しました!誰に報告したらよろしいでしょうか」


林檎2026年01月27日 20:44


果物で何が好きかと聞かれたら、「りんご」と答えるかもしれません。
でも若い頃は皮を剥くのが面倒で、どうして母親はせっせせっせとりんごの皮を剥いて、みんなに食べさせようとするんだろう、と思ったものでしたが、
自分も年を取ったら、自分も同じようになっているから、おかしい。

自宅から一番近いと思われるりんご園に行ってみました。
人が通らない場所なのに、無人販売所があります。(しかも地味)


クマよけにもならないであろう、網のカーテンを開けて見ると、


いろいろありました。
去年は300円だったなぁと思いながら、いっぱい買ってしまった。


子どもの頃、おそらく5歳ぐらいの頃。
幼稚園のお友だちの家がりんご農家でした。(立花だったか口内だったか)
それで、母親は親戚にりんごを送りたいといって、注文するのですが、
それらは木製のりんご箱の中に入っていて、もみ殻の中に埋まっていました。
もみ殻は今でいう梱包材だったのだと思います。
デリシャスとかインドとか世界一とか。そういう種類をよく食べました。
どうやって送っていたんだろう。
チッキかな。



部活動の思い出2026年01月20日 12:26


みゃむが中学生の時に、野球部が90人いて、1年生のときは一度もボールを触らないで終わった、という話をしていました。
球拾いさえ、回って来なかったらしい。じゃあ何してたの?
「声出し。」
って、あぁ、後ろの方で構えて叫んでるあの人たちが。
「それに比べて、サッカー部は人気がないから部員も少なくて、校庭を悠々と使っていたからズルかった。」 らしい(笑)
もしそれが吹奏楽部ならね、AクラスとBクラスでコンクールに出れたりするから、それなりの部活は出来たかもしれないけれど、野球はね、たった9人だから。

という話をしているうちに、私が卒業した北上市立北上中学校と同様、みゃむの盛岡市立上田中学校も、バレー部はコートが外にあったという話になりました。
土の上でレシーブの練習はきつかっただろう。いつから体育館になったんだ?

全校生徒が、北上中は1200人。上田中が900人。
いったい、いくつ部活があったんだろう、という話になりました。

野球でしょ、サッカーでしょ、バレーでしょ、テニスでしょ、陸上でしょ、ソフトボールもあったね、あ、水泳も。(上田にはハンドボールもあったらしい)
(とりあえず、屋外から攻めた、次は屋内)
あとは~バスケット、卓球、バトミントン、体操、柔道、剣道・・・。あとは何だろ。
それで全然思い出せなかったのが、文化部。
吹奏楽と合唱、あと何があったっけ。
美術部?書道部?カメラ部?
科学みたいなのもあったような。
あ、演劇部もあった?茶道部とか華道部もあったけ?(高校とごちゃまぜになってる)

あぁ、全然記憶にありません。



イヤダデス2026年01月04日 23:02


反抗期に突入したサクラちゃんが言う言葉。
タラちゃんの話し方によく似てる。
○○しようか、と声を掛けると、
「イヤダデス」

いやいやそこは、「です」は要らない。(笑)

先日、お昼寝から起きてきて、誰もいない部屋でサクラちゃんが言いました。
(私たちは別室から様子を見ていた)

「みんな、どこに行っちゃったの?」
「みんな、どこに行っちゃったの?」
最後は半べそで、
「みんな、どこに行っちゃったの?」

いつからこんな言葉が言えるようになったのだろう。
次の日、私は英会話の日でした。
「みんな、どこに行っちゃったの?」と英語でなんて言うんだろう。
頭の中でハテナマークが飛び交った。
Where is it?は、どこですか?だし。
え?え?え?私の実力はこんなもんか。
残念ですが、翻訳サイトで調べてしまった。

みんな、どこに行っちゃったの?
Where did everyone go?
と出た。
はぁ~そうですか。
サクラちゃんに負けた気がしました。

イヤだといえば、昭和。
いやだいやだのやだもん、という子がいました。
確か6人兄弟の一人。
NHKの「おかあさんといっしょ」の中に短いアニメでした。
「おかあさんといっしょ」といえば、当時、「アチョー!」というお姉さんがいた。
ひょうちえさんという謎の女性でした。ねこのポーズとか、ヨガみたいなことをしていたっけ。

懐かしい・・・。
NHKも試行錯誤しているんだね。
今は、「さすらいのポーズマン」。
けっこう面白い。


プラネタリウム2025年11月24日 16:40


盛岡市子ども科学館にはプラネタリウムがあって、
おそらく娘たちが小学生のどき以来なので、30年ぶり?

行ってきました。

というのも、ベビープラネタリウムという催し物があって、
なんてことはない、普通の星空に音楽に合わせて動物の絵が動いたり、ウサギが出て来て月に行ったり・・・。
室内はいつもより少し明るくて、ドアも開けっ放し。
泣いても騒いでも、親子でお喋りをしてもよいという感じ。
サクラちゃんも、「あ、クマさんだ」(熊か~い)とか、赤い星だの黄色い星だのを見つけては楽しそうでした。
(私も楽しかった)
料金は良く知りませんが、
みゃむが障がい者なのでゼロ円
どんちゃんがみゃむの介助者でゼロ円。
私は65歳以上なのでゼロ円。
サクラちゃんは2歳なのでゼロ円。
昔のガラケーみたいでした。(笑)

初めてプラネタリウムに入ったのは、小学6年生のとき。
仙台に学習旅行で行った、仙台市天文台でした。
半分バスに酔っていたので、いくら横になっても。グルグル回る星空でますます気持ち悪くなり、あまりいい思い出ではなかったかな。

あれから50年。(以上)
プラネタリウムってきっと進化しているんだろうなぁ。


外科2025年11月11日 22:47


小学生の頃、初めて整形外科という病院が出来て、整形外科って何じゃと思った記憶があります。
それまでは、火傷をしても外科、骨を折っても外科、尻もちをついて腰を痛めても外科(それは父親)、眼、鼻、喉、歯、お産以外は、内科か外科だったような気がします。
それなのに、今は外科が無くなって。
じゃあ、包丁で手を切ってしまったらどこに行けばいいんだ~。

と常々思っていたのですが、なんと盛岡に、外科の看板を掲げる(この言い方はないか)クリニックが出来ました。
聞くと、若い女医さんらしい、
行ってみたいなぁ。どんな先生なんだろう。
新しい建物、きれいな内装。
口コミを見ると、小児科の先生みたいな雰囲気とあった。

そして今日、チャンスがとうとうやって来ました。

昨日の夜、私は包丁で指を切った。しかもざっくり。
小指の爪がはがれて、中が見えた。
当然、出血も。
痛かった。
その瞬間、クマに襲われた人の気持ちを察した。(こんなもんじゃなかっただろうなぁと)

ということで、とりあえず水道水で傷口を洗い、消毒をして包帯をぐるぐる巻きにして一晩過ごし、なんとか止血した。

「そうだ外科、行こう」

口コミ通りの先生でした。
乾いた血を脱脂綿で拭いてもらっているうちに、傷が見えてきて、
結論からいうと、爪が指を守ってくれたので傷口は小さくて済んだということでした。

処置してもらっているちに、子どもの頃に行った外科の診察室を思い出しました。
当時の診察室は処置室と一緒になっていて、ナースのお仕事に出てくるようなワゴンの上には、赤だの黄色だの、消毒の入れ物やピンセット、とんがったハサミ、ガーゼだの脱脂綿だのが並んでいて、もちろんと看護師ではなく看護婦でした。
白いストッキングをはいていました。頭にはあれ。
当時の看護師さんは、包帯を巻くのが上手でしたよね。

今日はカットバンでした。
ワゴンはありましたが、簡素なものでした。


外科といいながら、レントゲン室があって、実は乳腺外科もやっているようで、
そっか、マンモグラフィの検査ができるんだ。

痛かったけれど、ある意味、夢が叶いました。