OKO塾 人事異動2014年10月21日 16:14

公務員の全てがそうとは限らないと思いますが、
みゃむの場合は、3月の中旬に異動内示が出るまでは、一切いつどこに異動するかわかりません。
例えば、家族に障がいをもった子どもがいて、学区外の小学校に通学させているため、送迎に大変苦労されている人がいますが、異動調書にその旨を記入しても、特に配慮されているようなことはありません。
お母さんが仕事を辞めて、子どもの面倒をみればいいのかもしれませんが、そういうことではないような気がします。

では、みゃむのように、中途障がい者になった場合はどうなるのでしょう。
これは、目に限らず、事故に遭って車椅子の生活が始まった人や、例えば心臓の病気でペースメ―カ―を必要としている人もたくさんいると思います。
そういうとき、仕事ってどうなるのかな。
私は考えました。職場にちょっとした配慮さえあれば、定年まで仕事を続けることができるのではないかな、と。

みゃむの場合、視力がぐんと落ちたのが平成24年のときでした。
そのとき勤務していたところは、盛岡駅から2つ目の駅でしたが、
そこから庁舎までの歩道が整備されておらず、雪の日は道に沿って歩いていると橋からそれて川に落ちるような道路でした。
ですから、その年の異動調書には障がいの内容を伝え、通勤経路の安全確保と自分の能力が最大限発揮できる職場に異動したいという希望を書きました。
そして、その年度の3月中旬、異動内示が出て本庁舎に勤務することができました。

しかし、実際に異動先に行ってみたら、確かに通勤面では便利にはなりましたが、
設計図を見たり、検査に行ったり、有料老人ホームを作りたいという事業者との相談を受けるという仕事内容で、全く仕事に対しての配慮は感じられませんでした。
むしろ、私個人の意見ですが、障がいをもった職員もしくは障がいをもった家族がいる職員の人事異動は、「とりあえず、福祉の仕事についてもらえばいいんじゃないか。」みたいな上からの雰囲気が感じられ、とても嫌な気持ちがしました。

そこで、再度みゃむは「書類が見えず来客対応は困難であること、車の運転ができないこと」を伝え、「自分に残された能力を最大限に発揮できる仕事」「歩道があり公共交通を利用でき通勤の安全が確保できるところ」を希望しました。
1年で異動することで、他の職員にも迷惑がかかることは十分承知していましたが、ただでさえ運転を若い人にしてもらい、検査だの聞き取りだのと助けてもらっていましたから、そこは辛いところだったと思います。

さすがに2度目の希望ということで、人事担当者は前向きな感じがしました。
私の母が亡くなり忌引き中だというのに職場に呼び出され、それはおかしいだろうと思いながらも、せっかくヒアリングをしてくれるというのだから、直接会ってしっかりと話を聴いてもらおう、と期待をもって出掛けました。
担当者から病状や希望について聞かれ、「異動先の空き状況には左右されることとなるが、裾野の広い組織だから大丈夫。」と説明を受け、その後も担当者から確認の電話があったりして、みゃむはいよいよ仕事への意欲が湧いていました。

そして、今年3月。異動内示が出ました。
異動先は、○○センターというところでした。
最も外向きの職場に思われたため、少し不安を抱えながらも、
きっと大丈夫と言い聞かせ、自分の後任者への引継ぎを済ませ異動先からの引継ぎ連絡を待ち続けました。
年度末ぎりぎりに引継ぎの連絡を受け、自分の荷物を段ボールに入れて、異動先に挨拶に行き、引き継ぎを受けたところ…。
まだ決定ではないとの前置きはあったものの、担当業務として期待されていたのは、ミリ単位の分銅を扱う計量資格の取得、
スーパーなどの薄暗いバックヤードでの商品の表示が正しいかどうかの計量作業、車両を運転していろんな場所で講師を務めること、
相談者の入室を確認し相談室まで案内し相談概要をメモして担当者に引継ぐこと、
その他庶務でした。
みゃむは相手の説明を全て聞き終えてから、ミリ単位の仕事はできないこと、免許の更新ができず運転ができないこと、来客の顔どころか机を挟んだ貴方の顔もはっきり見えないことを伝えたところ、説明してくれた方も驚いていたそうです。
しかもその○○センターがある場所は、全く歩道がない場所で…。
「自分は辞めろって言われているのかな。」
みゃむはそう言いました。私は何も言えませんでした。

その日から、みゃむは夜も眠れず、私が気づくとじっと天井を見つめて何かを考えているようでした。
あとから聞いた話では、訳もなく涙が流れて止まらなかった、そうです。
そういう日々が3日続き、精神的にとても4月1日からは仕事には出られる状況ではないので、しばらく有給で休ませて欲しい上司に伝えたところ、
その日のうちに、いきなり人事の偉い人たちが集まっている会議室に呼ばれ、
「やってみなければわからないじゃないか。」
「ますは、できることだけしていればいい。」などと6人に囲まれて面談。
それでも納得がいかなかったみゃむは、「どうして自分がこういうことになったのか、人事としてもし何らかの配慮をしていただいたのであれば、どのような選択肢があり、何故○○センターを最適と判断したのか、せめてその経緯を教えて欲しい。」と質問したそうですが、
「人事に関して事前に異動先の業務内容を確認することはない、それがルールであり全員同じ扱いである。こうなった経緯については話すことができない。」など次々と納得がいかないことを言われたそうです。そのやりとりは、2時間続きました。

その夜、「もう心が折れそうだよ。」とみゃむは言いました。
そして新年度になっても、仕事には一度も行っていません。
いや、正しくは行けていません。
心療内科では、視覚障害の不安感と人事異動に伴う「適応障害」と診断。
いよいよ今月から、病休ではなく休職扱いとなりました。