冬の稲妻2022年01月02日 18:14


冬に雷が鳴るなんて、しかも年明け早々に!
おそらく岩手ではなかったのではないかと思います。
アリスの『冬の稲妻』だって、比喩的な表現だと思っていましたが、
本当にさっき、ついさっき、恐ろしい雷がなりました。
(といっても、実際は稲妻は見ていませんけどね)

アリスが登場したので、今日は昭和の話を少しすることにします。

高校生のときだったと思うけれど、深夜のラジオから流れる素敵な声。
どんな人だろう、谷村新司っていう人。
かなり期待していたら、テレビで見てびっくりしたっけ(笑)

さて、数日前のこと。
高校のクラスメイト4人とガールズトークをしました。
今はそれぞれ、東京だの名古屋だの地元から離れているのですが、当時の思い出といえばやはり、NSP。
正直、私にとってのNSPは、そんなに身近な人ではないのですが、彼らは一関高専の学生だったので、ある意味、地元の超アイドル。
ガールズトークでは天野君がどうの、中村君がどうの、平賀君がどうの、高梨食堂の2階に下宿していただの、誰々さんと付き合っていただの、あの店でよく見かけただの、話は付きませんでした。
『あせ』『さよなら』『夕暮れ時は寂しそう』…。自分はラジオっ子だったのでよく聴いたけど、まさかザ・ベストテンに出演するグループに成長するとはね。

NSPといえば、東北新幹線の発車メロディー、一関駅はNSPの『夕暮れ時はさびしそう』です。
ちなみに盛岡駅は小田和正の『ダイジョウブ』(朝ドラ『どんと晴れ』の主題歌)。
どちらの駅も私が乗る新幹線は停車しないので、残念ながら聞いたことがはありません。

最後に、私のとっておきの昭和の話。
確か日曜日の午後1時ごろから放送していた『TVジョッキー』という番組を憶えていますか?司会者は土居まさるでした。
その中に、今では考えられないボインちゃん大会とかペチャパイ大会とか絶壁頭大会とか短足大会とか、素人が参加するコーナーがあったのですが、
私の高校時代のクラスメイトにオカマちゃん大会で優勝した人がいて、しかもチャンピョン大会でもグランプリを取って。
普段から色が白くて、髪がふわふわのロン毛、赤い唇の可愛らしい男子でした。(テレビにはドレスを着て登場していたけれど、オカマではなかった)
彼は今、何をしているんだろう。あのときゲットした白いギターは、今でも彼の部屋にあるのだろうか。



翔平だの、恭平だの、こぶ平だの2021年11月19日 12:32

今年の私は、毎日のように午前中は野球で始まり、おかげでメジャーリーグについて少し詳しくなりました。

野球が終わって翔平ロスになるかと思ったら、今度は5年に一度開催されるショパンコンクールがポーランドで始まって、すっかり魅了されました。
特に日本人の演奏が素晴らしく、イチオシの反田恭平の演奏には心奪われ…。
寝ても覚めても、翔平、恭平。
お二人の活躍には、ほんと感動しました。ありがとうございました。


で、なぜこぶ平。
はい、それはですね。
25年ぐらい前の『タモリのジャズスタジオ』という番組で、こぶ平がジャズを熱く語っていました。それが落語より面白くて、ちょっとだけハマりました。(笑)
教えてくれたでデデさんにも感謝。



さて、昨日のこと。
ついこの前見たときは、枯れ枝だったこれが、新しくなっていました。


これは造り酒屋の軒下に下がっている『杉玉』というもの。
今年も新酒が出来ましたよ~の合図です。


この季節の風物詩です。


盛岡市紺屋町にある菊の司。


だけど、気分はボジョレー・ヌーヴォー。(飲みたい)






イズ(is)問題2021年02月07日 10:36


今朝、鼻歌交じりでストレッチをしていたら、みゃむが合流してきた。
(運動ではなくて、鼻歌)

マイボーニイズオーバージオーシャン♪
マイホーニイズオーバーザシー♪

おこち 「これ、中学生のときに歌ったよね」
みゃむ 「うん、英語の試験で一人ずつ歌わせられた」
おこち 「え~っ!音楽の授業じゃなくて?」
みゃむ 「うん、英語の授業だった」
おこち 「さすが教育熱心な中学校は違うね~」←(ただの公立中学校ですが)

調子に乗ってだんだんボリュームが大に。

ブリーングバーック ブリーングバーック♪

しかし歌っていたら、気になることが。

おこち 「ところでさ、ボニーって誰だ?」
みゃむ 「さぁ」

すると早速スマホで検索し始めるみゃむ。

みゃむ 「ゆうこさん大変!」
おこち 「何!?」
みゃむ 「イズじゃないよ!」
おこち 「え?イズじゃないってどういうこと?」

こういうことでした。
My Bonnie lies over the ocean
My Bonnie lies over the sea
My Bonnie lies over the ocean
Oh, bring back my Bonnie to me

てっきり、My Bonnie is over the ocean
My Bonnie is over the sea だと思ってた!

おこち 「ガーン!あたし、50年ぐらいイズで歌ってた!」
みゃむ 「俺も」←いやいやあなたは45年でしょ

ちなみに、この曲はスコットランド民謡らしい。
「マイ・ボニー」のボニーとは、歴史上の人物ボニープリンスチャーチル王子が、戦いに敗れてフランスへ渡るときに、フローラという女性が悲しい気落ちで歌ったものであるらしい。

私はてっきり、どこか遠くに働きに出た息子に、母親が心配して歌った歌かと思い込んでた…(´・ω・`) 「帰ってこいよ~」って、松村和子か~い!(笑)

天と地と2020年12月27日 22:43


え?「天と地と」って、まさかあの「天と地と」?

と思って羽生君のフリーの演技を見ていたら、
あら、ほんと。まさかあの「天と地と」でした。

初めてカラーで放送された大河とラマ「天と地と」は、小学何年生のときだったろう。両親が見ていたので、自分もなんとなく見ていたような。
(父親は物語、おそらく母親は石坂浩二、私はカラー放送)

なのでオープニング曲はしっかり記憶にあります。
作曲は冨田勲。(たしか)
琵琶の音色も印象的でしたが、後半のなんとも悲しい旋律が、子どもだったけど好きでした。

それにしても、羽生君の演技は素晴らしかったですね。
あの曲を氷の上で見事に表現。感動しました。
そしていつも思います。
彼のスケートを見ると、東日本大震災を思い出します。
それが彼の存在価値だと思います。

しばしもやすまず2020年12月20日 19:24


子どものころ、ゴムとびというのかな。やりました。
本日のそれは、以前にも紹介しただんだん高く飛んでいくゴムとびではなく、
歌いながら、つま先をひっかけながらリズムに合わせてぴょんぴょこ飛ぶアレ。

しばしもやすまずつちうつひびき
とびちるひだまよはしるゆだま
ふいごのかぜさえいきをもつかず
しごとにせいだすむらのかじや♪

10歳前後だったから、歌詞もよくわからずに歌っていました。
ただ、住んでいるところから一番近いバス停が「鍛治町」(かじまち)だったから、鍛冶がなんだかは知らなくても、なんとなく身近な感じがしました(笑)

しかし、大人になって知りました。
漢字にするとこうだそうです。

暫時も休まず槌打つ響き
飛び散る火花よ走る湯玉
鞴の風さえ息をもつかず
仕事に精出す村の鍛冶屋

(@ ̄□ ̄@;)!!

しかもこの歌詞、改定されて改定されての最終的な歌詞だそうで。
まさかこんな歌詞に合わせて飛んでいたとは~びっくりよ。


それより、この歌に合わせてどう飛んでいたのかよく憶えていない。

こんな動画を見つけました。

うーん(;一_一) こんなだったかな。

大滝詠一2020年12月11日 09:19


21歳のときに、同僚の(いや先輩の)部屋に遊びに行って、
「これいいよ~。」とかけくれたのが、大滝詠一の『A LONG VACATION 』というLPレコードでした。

ほんとだ、いいですね。

というわけで私もレコード屋さんへ。


最近、そのとき聴いた『君は天然色』という曲が軽自動車のCMで流れていますが、もう40年経っているのに全然色あせない。(天然色だけに?w)
ついつい「思い出は~モノクロ~ム~色をつけてくれ~♪」と口ずさんでしまうので、とうとうみゃむが大瀧詠一のベストアルバムを買ってくれました。(レコードはあの家に置いてきてしまった…ってどの家?w)

で、CDについてくる冊子みたいなのを読んでわかったのですが、
彼の曲って、作詞がとんどが松本隆だってこと。
で、『さらばシベリア鉄道』って曲が、『木綿のハンカチーフ』と同じように、
男女の交わした手紙風の歌詞だったってこと。

ハンカチーフは、田舎に彼女を残して上京した恋人同士の遠距離恋愛。
シベリアは、何があったかは知らないけれど、突然届いた彼女からの手紙、消印を見るとシベリアからだった。女からの思い、男の思いが、交互に綴られていました。何度も聴いていたのに、何を聴いていたんだか。全然気づきませんでした。
松本隆は意識的に作ったらしいけど、こんな手法だったとは…。
どちらも太田裕美が歌っていましたね。

ちなみに私の好きな曲は、『恋するカレン』という曲です。
キャンドルを暗くして~♪の、あれです。

さて、大滝詠一が岩手県出身だと知ったのは、ずいぶん経ってからのことでした。
思えばあのレコードを聴かせてくれた先輩と同郷の人。
彼女がそのとき、それを知っていたのかどうかは知る余地もなし。

手紙2020年04月02日 20:54


今日、和室を片付けていたら、
お菓子の箱から、かつて私が出した手紙がいくつか出てきました。
父宛てだったり母宛てだったり、
封筒に入っていなかったので、おそらく何か荷物を送ったときに入れた、
ちょっとした近況を知らせたものでしょう。
ほとんどが、千葉に住んでいた数年間に贈ったもの。
それらがその箱に入っていることは前から知っていましたが、
何だか恥ずかしくて読む気になれず、ずっとそのままにしていました。
ぞして今日、あらためて読んでみると、内容があまりにくだらなすぎて、
母親はどんな気持ちでこれを読んでいたのだろうと、ちょっと笑ってしまいました。

昔は電話料金が高かったので、長電話ができませんでした。
だからといって手紙をよく書いたわけでもないし、
今のように、LINEだのメールだの、家族が頻繁に連絡を取り合う時代が来るなんて、誰が想像したでしょう。

手紙と言えば思い出す歌。(昭和です)
平尾昌晃&畑中葉子の『カナダからの手紙』 ラブレター フロム カナダ~♪
由紀さおりの『手紙』 死んでもあなたと~暮らしていたいと~♪
そして、あべ静江の『水色の手紙』 「お元気ですか?そして今でも愛していると言ってくださいますか」 水色は~涙色~♪そんな便せんに♪
でも一番最初はやっぱりこれだね。『やぎさんゆうびん』 しろやぎさんからおてがみついた くろやぎさんたらよまずにたべた
子ども心に、どうするの、どうするの、とハラハラしました。笑

手紙で失敗したことといえば、
好きだった男の人に手紙を書いたときに、なぜだから自分の住所と名前を書くのを忘れ、配達された私の手紙をその家の主(つまり彼の父親)が怒って開けて読んだ、という悲しい青春の思い出があります。(あのオヤジめ~怒)

文通した人は、一番遠くの人がインドの人。
沖縄の人。長崎の人。広島の瀬戸内海に浮かぶ島に住む人。
憧れの町に住む人と手紙を交換しました。(インドは別)

それにしても、どうして手紙って1枚目は綺麗に書けるんだけど、2枚目3枚目と続くにつれ、どんどん字が汚くなるんだろうね。字も大きくなるし。
だから、最後まで綺麗な字で書ける人が羨ましかった~。
そういえば、あの頃はペン習字って通信教育で流行っていたよね。

嬉しいけれどなんか寂しい2019年11月03日 22:41

嵐が、デビュー20周年記念日を迎えた今日、
今まで5曲のみ解禁されていた音楽配信が、65曲になりました。
今朝は針仕事をしながら、チューリップとかオフコースとかを聴いていましたが、
もうしばらくは嵐一色でいきたいと思います。

20年も経つと、色んな思い出が蘇ってきます。
この曲は、どんちゃんがあの時だとか、
この曲は、りんごちゃんがあの時だ、とか。
そしてこの曲は、私があの時だ。
(あの時=それぞれ抱えた出来事)
思わず涙がこみ上げる曲もあったりして。


でも、これは元気になるよね。



これらが毎日、いつどこでも聴けることは嬉しいけれど、
なんか、いよいよって感じがして寂しい感じがします。
本当にいいグループでした。(終わってないし)
つくづくそう思います。

10月だというのに暑かった①2019年10月04日 09:00

9月30日(月)
9月最後の旅は、東京へ。
その前に、川崎に住む友だちの家に遊びに行ってきました。

丁度お昼時にお邪魔したので、みんなでランチ。


ぜ~んぶ手作りです。
6種類のピザ、サラダ。本格的で美味しかった~ヾ(*´∀`*)ノ


まるでイタリアンレストラン。
お母さんもそうだけど、娘たちもお料理がとても上手。


デザートは、自由が丘の『モンブラン』というお店のケーキをいただきました。
(わざわざ自由が丘まで買いに行ってくれて、ありがとうございました)
このお店は、日本でモンブランを作った最初のお店だそうです。
で、私はどれにしよ~っかな~。
ってね、そこはやっぱりモンブランでしょ!


うひょ~♪モンブラン好きにはたまらん。

集まったのは、私を最初にフランスに連れて行ってくれた家族です。
娘たちはそれぞれ結婚し、1歳の女の子が加わって。
(もう一人の旦那さんには会えなくて残念でした)

相変わらず賑やかで、ずっと笑いっぱなしでした。
おチビちゃんが泣いても大人は笑う、という。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
最後まで私に距離を置いていたおチビちゃんも、最後は無理矢理抱っこして、
まるで仲良しの写真が撮れました(笑)
可愛かった~。次に会ったときはもっと遊べるといいね。

さて、川崎を後にして、
夜は浜離宮朝日ホールに行きました。


新橋駅に着いたら、あたりは暗くなっていて、
一人でGoogleマップを確認しながら、なんとか到着。
『佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団』
前から行きたかったコンサート。いい席が取れて良かったです。
うっとりしたり、わくわくしたり、心弾むひと時でした。

夜はどんちゃんの家に泊まりました。


10月1日(火)
消費税が10%に上がったこの日、
どこに行こうか朝まで決まらなかった私たち。
そうだ、横浜に行こう。
というわけで、どんちゃんと横浜に行ってきました。


ちょうどこの日は国慶節(こっけいせつ)のお祝いがあって、
とにかく賑やかでした。
中国人がいっぱい。まるで中国。(笑)

そんな中、私が行きたかったところはここ。


悟空茶荘です。


やっぱり癒される~( ̄ー ̄)


八宝茶、これにお湯を足して足して、何杯飲んだでしょう。


きのこまんも美味しかった。


このお店には、ほんと何時間でもいられる~。

まったり癒されたあと、1階のショップでお茶をたくさん買いました。
(ジャスミン茶、痩せるお茶、など)


そして次は、小籠包を食べに行きました。


ヒルナンデス!に出たお店らしいです。


中はジューシー、でも外はカリカリ。
とても美味しかったです。

というわけで、アツアツの小籠包を立ち食いしたあと、
私たちはトコトコ歩いて山下公園へ。
このベンチに1時間以上座って、ぼんやり景色を眺めました。


あぁ、いいねぇ。こういう時間の過ごし方。



夜は神田でお寿司を御馳走になりました。(どんちゃん夫婦と3人で)


いつも食べている安くて旨い回転寿司とは全然違い、
ネタが分厚くて美味しかった。


今回の旅は、どんちゃんの家に3泊しました。

これで前半が終了。
明日はどこに行こうかな。


薬師丸ひろ子2019年09月17日 06:41

おはようございます。

昨日のことですが、
盛岡駅に行ったら、ラグビーワールドカップ2019のお知らせが、あと4日になっていました。
つまり今日は、あと3日。そばっち、毎日ごくろうさん。


さて、昨日は日帰りで仙台に行ってきました。
1時間ぐらいエスパルでぶらぶらウィンドウショッピングを楽しみ、
13時にりんごちゃんと待ち合わせをしていた北仙台の『イマジネ』というパン屋さんに行きました。
下はパン屋さんですが、2階はカフェになっていて、
つい数日前に出来たお店です。
前にここを通ったときに、工務店かなんかだったのに、いきなりお洒落になっていたのでおどろきました。


ここでランチ。
ついでに私の忘れ物を受け取りました。
そうです、福岡で買っためんたいこ。賞味期限の範囲内。
サンキュー♪助かったヾ(*´∀`*)ノ

りんごちゃんとは、ここでお別れ。
私は地下鉄で定禅寺通に向かいました。
冬に光のページェントが開催されるところです。
去年はここのケヤキ160本に約60万球のイルミネーションが光り輝きました。


通りの真ん中が歩行者専用になっていて、
いつも思うのですが、このポーズ、絶対無理だと思います。(腰、痛めます)


三越にも行きましたが、特に欲しいものはありませんでした。(笑)


仙台にはたくさんアーケードがあります。
昨日は小雨まじりだったので、その下を結構歩きました。

基本的に一人旅のポリシーは、エスカレーターを使わず階段を歩く、歩く。
そう決めているので、昨日もめぐりめぐって歩き疲れ、勾当台公園の中にあるこのカフェに到着。


『Route 227s' Cafe TOHOKU』(ルート ニーニーナナ カフェ トウホクと読むらしい)は、今年8月にオープンしたばかり。
どうやら東北6県227市町村の魅力を発信しているカフェレストランらしいです。


喉が渇いていたので、私はこれを注文しました。


ハーブ&レモンスカッシュ♪
美味しかった~(^ω^)


さて、いよいよ本日のメインイベント。
東京エレクトロンホール宮城に向かいました。


そうです、薬師丸ひろ子のコンサートを聴きに(見に)行って来たのです。


先行予約、初日に申し込んだのに、
1階でしたがまん中より少し後ろの席でした。


素敵でした。歌も容姿も。雰囲気も。
なんだろ、この人は美しくて可愛らしい。
歌った曲は、懐かしい曲が多くてしっかり楽しめました。

会場は満席。立見席も出たらしいです。
客層は、50代の男女で、だいたい男性と女性半々でした。
2時間半、休憩を途中15分はさみましたが、ずっと歌いっぱなし。
最後はやはり『Wの悲劇 Woman』でした。
アンコールは3曲で、そのうちの1曲が『あまちゃん』の挿入歌『潮騒のメロディー』でした。東北人、大喜びよね。(笑)

コンサートの間、思いました。
薬師丸ひろ子は、10代のころから年齢以上の難しい曲(解釈が)を歌っていて、
今こうして年齢を重ねて、自分の曲を楽しんで歌っているんだろうな、と。
楽曲をみると、井上陽水だのユーミンだの、中島みゆきだの竹内まりあだの、
色んな人の作った曲を歌っているもんね。
薬師丸ひろ子が歌うと、全然違った雰囲気になるから私は好きです。

ここ半年、自分のBGMはだいたい薬師丸ひろ子でした。
(あ、エルトン・ジョンと半々か…笑)
なので当然、帰り道も鼻歌を歌いながら歩きました。
ほんと、いいコンサートだった。


さて話変わって、今朝のご飯ですが。
じゃじゃ~ん!
無着色の辛子明太子っで~す。


『ふくや』は、日本で初めて明太子を製造・販売したお店だそうです。
それが西日本でドラマ化し、映画にもなったらしい。


博多華丸が、時々坊主頭になるのは、これの撮影のためだったんだね。


よし、今日も一日、がんばるぞ!