駅弁の思い出2019年12月15日 23:16


今はどこでも買えるお弁当ですが、
私が子どもの頃はお弁当といえば、手作り弁当。
でも汽車でどこかに行ったとき、
駅弁を買って食べた記憶があります。

駅のホームでの数分間、
声をあげて売りさばく駅弁売りのおじさんの声。
それを求めてホームに出て行く大人、
ベルが鳴り響いて、座席で待つ子どもはハラハラドキドキ。
「お父さんとお母さん、戻ってくるかな。」
「乗り遅れて発車しちゃったらどうしよう。」
ちょっとしたスリル感を、私は兄のようには楽しめなかった。
ヘンゼルとグレーテルのようになりはしないか、怖かった。笑

といいつつ駅弁自体の思い出はあまりなくて、
一番記憶にあるのは、一緒に買ったお茶ですね。
私が知っているのは、プラスチックというかビニールみたいな容器でした。
でもなんとなく、素焼きのお茶も記憶にあって、
それは誰かが旅のお土産に持ってきてくれた空の急須で、
ままごとに使って遊んだという記憶のようにも思います。

汽車の旅の思い出と言えば、もう一つ。
昔はゴミを座席の下に置きましたよね。
あれが暗黙のルールというか、なんというか。
私が高校生のときも、そういうことをしたような。
不思議なマナーでした。
誰が掃除したのでしょう。
自分で持ち帰るとか、下車したときにホームで捨てるとか、
そういう気にはならなかったのでしょうか、当時の大人たち。笑

先日、80代の方が、
日本は東京オリンピックから意識が変わった、と話していました。
ゴミ収集もその頃から始まり、今は当たり前の生活上のルールも、
オリンピックを機に大改革されたのだそうです。
確かにかつては「便所」と書かれた駅のトイレも、ピクトグラムによって一目で男子と女子のトイレとわかるようになりました。
いつの間にか世の中がそうなっていました。
あれもかな、これもかな、と思い当たることが沢山あります。


おにぎりを1、2、3の通りに引っ張れば、包みが綺麗に剥けて海苔がパリパリ、ってのも驚いたけどさ、
今じゃ仙台の牛タン弁当なんて、しゅっと紙を引っ張れば、
数分後にはアツアツになるのよ。
考えられる?こんなこと。

まさかバスに乗るために5円玉を握りしめていたおこちゃんが、
18歳のときに親が作ってくれた銀行のキャッシュカード。
20歳のときに初めて作ったクレジットカード。
電話は10円玉からテレフォンカードに。
そして今ではキャッシュレス決済ときたもんだ。
ピッで駅弁が買えちゃう時代になってしまった。
(無理矢理、駅弁の話で締めくくろうとしている感、ありあり)


半世紀でこんなにも進化して、
地球が温暖化で大変なことになってしまうのも、分かる気がします。
(相当はしょりましたw)




コメント

_ デデ ― 2019年12月16日 15:31

駅弁は旅の楽しみかもしれませんが、でも案外決まったものしか食べていないかなぁ。東京からだと東海道、東北方面は弁当を買うことってほとんどないですね。やっぱり上信越方面。それも高崎のだるま弁当か横川の峠の釜めし。この二つは飛びっきりの定番。鉄板と言うんでしょうか。上州・越後方面だとだるま。信州方面だと釜飯って感じかなあ。

https://ameblo.jp/nagoyan-inocci/entry-12331612296.html
https://www.icoro.com/201205286635

ちなみに千曲川の氾濫で新幹線の車両が水浸しになりましたが、東海道や東北新幹線の車両を北陸新幹線に走らせることはできないらしい。一つには50Hzと60Hzの切り替えを3回やらなくちゃならない。もう一つ重要なことは、普通の新幹線ではモーターの出力が足りなくて碓氷峠を登れないんだそうです。

_ ビーカー ― 2019年12月16日 16:55

こんばんは。

駅弁ですね。

幼い頃は多分食べた記憶がないなぁ。
お茶の入れ物は記憶にあるよ。大人になってからかな。(^^)
それもまだ東北新幹線が開通していない頃。(笑)
プラスチックの小さなキャップでお茶を飲む。だよねー♬

新幹線でお弁当を食べるのは、東京行った帰りかな。
大体夕方乗るからね。(*^^*)
でも「駅弁」ではなく、ほとんどがグランスタとか大丸のお弁当。
結構選ぶのが楽しみなんだけど、最近決まったところのになって来た。笑

バスで思い出したけど、小さい頃はバスの車掌さんが憧れで。
いや、車掌さんのする事がやってみたかっただけかな。
昭和の時代、駅員さんが切符切る様にバスのなかで車掌さんが切符を切っていた。それをやりたくて…やりたくて。(^^)
さらに、わたしの家方面に行くには踏切を渡らなければならない。
車掌さんが乗っていた頃は「踏切のため、一旦停車しまぁ〜す!」と言って、バスから降りて笛を合図にバスを誘導する。
そして何事もなかった様にバスに乗り込むわけ。それがカッコよくてやってみたかった。まっ、ままごとで真似っこはしたけど。♪( ´▽`)

_ おこちゃん ― 2019年12月16日 20:06

デデさん、私は釜飯の釜だけ、もらったことあるのよ。幼いころ2回ぐらい。
(お土産としてw)
その人がどこで食べたのかは知らないけど、すっごく嬉しかったなぁ。
でもままごとにはちょっと大きすぎるんだよね(笑)
だるま弁当は、初めて見ました。
これは、もらってもあまり嬉しくないかも(笑)

そっか。新幹線は石炭で走っているんじゃないもんね。
㎐の問題があるわけだ。なるほどね。
そういうこと、全然考えたことなかったです。
それと、普通の新幹線が碓氷峠をのぼれないって、え?私がこの前金沢に行ったときに、その碓氷峠ってところ、越えたんですか?
確か眼鏡橋がある峠ですよね。
いやややや、新幹線って風景を楽しめないから、ほんとつまんない。
トンネルが多いし、
それに比べて秋田新幹線は、景色を思う存分楽しめるんだよ。
普通に踏切を通るしね。ちょっと笑えるけど、私は好きです(*^▽^*)

_ おこちゃん ― 2019年12月16日 20:23

ビーカーさん、私もバスの車掌さんに憧れた女の子の一人です。
私は前にも話したけれど、幼稚園の年中の途中で花園町から大曲に引っ越したからさ、路線バスで幼稚園に通ったわけ。定期が切れたときは5円玉握りしめてね。
諏訪神社前から鍛冶町までの乗車中、15分も乗らないよね。でも車掌さんの制服と言い、アップにした髪型といい、帽子と言い、それを留めるピン留めと言い、カバンと言い、カチャカチャ鳴らしてる切符切るやつといい、腰をのせるバーと言い、もうカッコ良くてカッコ良くて、ずっと見てました。
確かバスの車掌さんセットみたいなおもちゃも売ってたよね。(私は買ってもらえなかった)
残念ながら踏切は無かった。ちょっと悔しい(笑)

グランスタはいつも人がいっぱいでね。
この前もみゃむにお弁当を買って帰りました。
どこのだか忘れたけど、牛肉弁当だった(笑) 美味しかったよ。
お茶も売ってました。デザインは昭和の頃のものと似ていたけど、硬いプラスチック。私の知っているふにゃふにゃの容器ではなかったな(;一_一)
それにしても駅弁のお手拭き、あれ小っちゃすぎだよね~(^▽^;)

_ デデ ― 2019年12月16日 21:48

ビーカーさん>>「駅弁」ではなく、ほとんどがグランスタとか大丸のお弁当。
駅弁よりもデパ地下の方がうまいもんありますよね。私だったら米八のおこわと美濃吉の卵焼きとか。もう何十年も前ですが、初めて食べた美濃吉の卵焼きは衝撃でした。

>>おこちゃん
あのお釜は1人前のご飯を炊くのにちょうどぴったり。すごく実用的でもあります。

信越線の時代、碓氷峠はアプト式とかラックレールとか呼ばれるギアで凹凸のあるレールを引っ掛けて登る方式でした。今の新幹線は馬力が段違いだそうで、スムーズに登っちゃいますね。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/usui/el.htm

_ おこちゃん ― 2019年12月16日 22:41

デデさん、おっもしろ~い!
凸凹のあるレール、時速9キロ、トンネルの中は大変なことになって(@_@;)
しかもドイツだのスイスだの、輸入していたなんて知りませんでした。
いつかスイスの登山鉄道に乗って、絶景のパノラマを走り抜けてみたいなぁ。

お釜はままごと用というより、本物のご飯が炊けるんですね。
私も美濃吉の卵焼き、食べてみたいわ~(*^▽^*)

_ デデ ― 2019年12月17日 16:23

日本の真ん中あたりは山が多くて鉄道を敷くのに苦労したみたい。
丹那トンネルは「黒部の太陽」並の難工事だったそうだし、谷川岳の直下を貫く清水トンネルも着工から完成までに10年近くかかったそうです。私の子供の頃、中央線はあっちこっちにスイッチバックがありました。

小淵沢から佐久まで八ヶ岳の西側を走る高原列車小海線は、初夏の時期に線路に覆いかぶさっている樹木から大量に毛虫が落下して線路が滑るんで、「1等のお客さんはそのままで、2等のお客さんは列車から降りて押してください」ってアナウンスもありました。

_ おこちゃん ― 2019年12月17日 23:48

デデさん、こんばんは。
懐かしいわ〜!私が20代の頃、女性雑誌によく載ってました。小海線。
旅の特集をやっってましたよね。軽井沢でテニスして帰る、みたいな。今思えば神田正輝かな、ゴルフのワンポイントレッスンみたいなのもあったなぁ。なんで神田正輝?笑(よく知らなかったけど素敵な人だなと思いました)
でも、その小海線に大量の毛虫?(~_~;) 車両を押す?
新緑を楽しみながら、そんなワークショップに参加できるのか(笑)
なんの番組だったか、日本かのかスイスなのかも忘れてしまいましたが、今年、スイッチバックの鉄旅を紹介していました。
その時はその仕組みに驚いたけど、もっと驚いたのは、
鉄道ではなくて運河!
パナマとかスエズてはない、フランスだったかイギリスだったか、小さな運河の旅でした。
高低差を難なく移動する、あの仕組みにはホント驚きました。
あ、空飛ぶ運河だったから、フランスだね。
昔の人はすごいこと考えるんだなぁと、感心しますわ。

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