3年間の通学で感じたこと2018年03月04日 20:32

最近、みゃむが話していたことです。

毎朝7時に家を出て、立て続けに来るバスに乗り込むので、
いつも同じバスというわけではありませんが、
だいたい時間帯は同じ。
3年前の4月からこのバスに乗るようになって、
最初は声を掛けてくれる人は誰一人といなかったそうです。
優先席はありますが、いつもそこは満席で、
みゃむは吊革につかまって立っていることが多かったみたい。
白杖を持っていても、身体は丈夫そうだし、
みゃむ自身もそれほど立っていることが苦ではなかったので、
周りの人も気を遣ってくれていたのかもしれません。

しかしそのうちに、「あそこの席、空いていますよ。」と声を掛けてくれる人が出始めて、しかしみゃむには「あそこ」が見えない、分からない。
無視するわけにもいかず、最初は大丈夫ですみたいなことを言ったそうですが、
それでは周りの人に理解してもらえていないという夫婦の会話の末、
それからは「どこでしょうか。」と聞き返すように心がけました。
次第に、手を取って席まで連れて行ってくれる女性が現れ、
最近では、よく席を変わってくれる人が多くなったと感じているそうです。

みゃむには乗客は見えませんが、
おそらく多くの人は、みゃむのことを見ていたのでしょうね。
無関心から関心に、「どうしたらいいかわからない」から「こうすればいいんだ」という理解が増えてきたのかもしれません。
そして、一人の声掛けが勇気をくれて、自分もやってみようという勇気に変わったことも確かです。

白杖を持ち始めたとき、周囲の目を気にしてなかなかカバンの中から出すことができなかったみゃむ。
今ではどこに行くにも白杖を持ち歩くようになりました。
階段の上り下りは、白状をつかって上手に歩けて、
むしろ私の方がつまずいてしまったり。お恥ずかしい次第。

「せっかく障がい者になったのだから」
それが私たちの合言葉。
これからはまた違う環境で生きていくわけですが、
そこでもきっと、みゃむは人に何かを感じさせていくに違いありません。
「そこに存在するだけで」。
障がいを持った人は、それだけで私たちに何かを教えてくれるのだと思います。