蛇の思い出 その22017年05月21日 12:43

さて、昭和の蛇の思い出のつづきです。



5 諏訪神社の境内で見世物小屋

「よってらっしゃい、みてらっしゃい。親の因果が子に報い、・・・・・・・・・・・・・・・。」
あの呼び込みだけで怖くなったけれど、なぜだか無理矢理連れて行かれた。
今思うと、親が見たかっただけ。(子どもは犠牲者)
中でも強烈に憶えているのが、蛇を鼻から入れて口から出す女の人。
とにかく怖かったです。
当時、友だちが梅津かずおの「へび女」を好んで読んでいて、
「ゆうこちゃんに貸してあげる」と言って手渡されたものの、
正直迷惑だった…。(わかぼん、ごめんなさい)


6 先輩の話

高校1年生のとき、私は吹奏楽部でクラリネットを吹いていたのですが、

夏休みの部活のときに、同じクラリネットの先輩から聞いた話です。

その先輩は、花泉町から通学していたのですが、

利用している駅が無人駅で、(当時の無人駅はド田舎の象徴だった)

先輩はその駅から更に自転車に乗って家に帰るという、おそらく「ひよっこ」のみね子みたいな人だったと思います。

先輩は部活を終えて電車に乗り、いつもの通り無人駅の自転車置き場から自分の自転車で家に向かっていたのですが、

どうもペダルが重い。しかもだんだん走りにくくなって進まない。

おかしいなと思って車輪を見たら、

ぎゃ~~~~~~~~~。

車輪に蛇が絡まっているではないか。しかも前輪と後輪に2匹ぃ~~Σ( ̄□ ̄|||)

ちょこっと走行したばかりに、蛇がとんでもない状態になっていた!

気が付いたら、先輩は自転車を跳ね飛ばし、自分も一瞬で遠くに飛んでいたというから、人間ってすごい。

「で、どうしたんですか?」
もう、家に帰れないから徒歩で駅に戻って公衆電話から家に電話。
お父さんに迎えに来てもらった、とのこと。
車輪に絡まった蛇は、(あ、蛇との絡みとはこいうことか) お父さんが外してくれたそうです。(根気強さが要求される作業だったでしょうね)
ところがです。それがその先輩、一度だけじゃなかったのです。
同じ年だったか翌年だったかは忘れましたが、
先輩、また同じ自転車置き場でやられてしまって。
おそらく1回目のときから、先輩は自転車に乗る前は必ず車輪で蛇が休憩していないかどうかを確認(いわゆる安全確認)をしてから乗るように習慣づいたと思うので、2回目のときは、ほどけないほどの絡みにはならず、自ら棒でつついて蛇を逃がす、というテクを実践。
あぁ。C先輩。
59歳になっても、自転車に乗る際は安全確認を励行しているんだろうなぁ。
それにしても花泉町、恐るべし。


7 屋敷蛇の話

実は、私。その恐るべし花泉町にお嫁に行きました。
あるとき、味噌蔵の屋根の瓦が古くなったので綺麗にしようということになり、
(といってもその話し合いに嫁の入る余地なし)
ついでに白壁も塗り替えようということで、大々的なリフォーム工事が始まりました。
初日のことです。
大工さんが言いました。「かなり大きな蛇が梁(はり)に横たわっているよ。」
イメージはこんなところ
           ↓

どれだけ大きいのかと義母が聞きましたが、
大工さんは「聞かないほうがいい。」と言いました。えーーーーっなんで???
工事は蛇が居なくなってから、ということで数日待ちました。
すると、一週間後に蛇は居なくなりました。
しかし、じゃあその蛇はいったいどこに行ったの?ってことです。
そこに生活している人にとっては大問題。
工事中も味噌蔵は味噌蔵として活用していたので、
味噌がなくなると嫁はそこに行き、大きな樽から木べらで味噌をすくってかめに移す作業がありました。
天井にいなくなっても、その辺にいるんじゃない?と思うと、怖くて怖くて、
いつもは5分以上かかる作業も、1分以内で終わらせるという雑な作業。
(あとで義母に叱られましたが)
しかもその味噌蔵の裏に畑があり、朝も昼も夜も、料理に使う野菜を採りに行かねばなりません。蛇さん、どこに潜んでいるの?ここじゃないよね。
だいたい工事は1ヶ月ぐらいで終わりました。
大工さん曰く、「おそらく蛇は元の場所に戻ったんでねすか。」
家族はほっとしていました。屋敷蛇だったからでしょう。
しかーし。
私は2、3日に一回はその味噌蔵に行かなければならないのだ。
作業をするたびに、まず天井を見上げ、「おとなしくしていてください。」「あなたに限ってないとは思いますが、絶対に足を滑らしたりしないで。」
と祈ってから、手早く作業を済ませるのでした。
ちなみに、その味噌蔵は土間になっていて、入るとひんやり冷たい空気。
大きな味噌樽が7つぐらい並んでいて、自家製の味噌が保存されていました。


8 朝起きたら蛇

同じく花泉町での出来事。
飼い猫がネズミを捕まえると、褒めてもらいたくてご主人の前に持ってくるという習性があるようですが、
夏のある日の早朝。台所の戸を開けて中に入った瞬間。
テーブル(座卓)の上にあったものは、蛇でした。(死んでいた)
ぎゃーーーーーーーっ!!
(よくやった、猫のコロちゃん)


9 あんたは蛇の町で生まれ育ったんだろうが

花泉町で生まれ育った男が、私と結婚する前にドライブしていたとき。
確かあれは十和田湖。
道路の真ん中に長~い蛇が横たわっていました。
「あ、蛇!」
と私が言ったら、その男は運転中なのに両足を上げた!



以上、蛇の話題はこれにて終了~。
最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

あなたが住んでいるところ音風景2017年05月21日 22:12

あなたが住んでいるところで、
素敵な音風景ってありますか。

私は、3月なら白鳥がシベリアに帰るときの大勢の鳴き声。
5月になったら、そう、今年は5月19日でした。毎年やって来るカッコウの鳴き声。
夏が近づいて来ると、あちこちから聞こえてくるさんさ太鼓の練習の音。
夏は蝉の声。蛙の声。こおろぎの声。
秋は風の音。なぜか夜だけ遠くから聞こえる貨物列車の音。
冬は、雪が降っている日の静寂の音。
四季折々に、自分の中で季節を感じる音風景があります。
それは北国ならではの音風景。
音からその風景が浮かんできます。

土曜日。
「いわてのサウンドスケープ」というシンポジウムに参加してきました。
第一部では「誰かに聴かせたい岩手の音風景」というアンケートの結果が報告され、いろんな人が岩手のいろんな音を大切に思っていることがわかりました。
上記の私の感じる音風景も入っていましたが、
面白いなと思ったところでは、夕刻を知らせるチャイム(市町村によってメロディが違いますが)とか、陸上自衛隊の演習の音(ドンという重低音)かな。
自衛隊の音は、雷のような大砲の音が朝から何度も続きます。それが盛岡まで響いて聞こえてきます。(住んでみないと分からない音ですね)
他にも海の近くに住む人は、波の音やウミネコの声などをあげていたし、
当然ですが、チャグチャグ馬コやさんさ踊り、鬼剣舞、獅子踊りなど、岩手のお祭りの音もあげられていました。
第二部では、匠が語るサンドスケープと題して、南部鉄器、ホームスパン、南部杜氏(南部美人という酒造会社)の若い匠たちによる仕事を通しての音風景について聞くことが出来ました。それは鉄を流し込む音だったり、糸巻き機や機織りの音。麹が発酵する音などでした。
第三部は、その3人の匠にもう一人を招いてのパネルディスカッションでした。
特に興味深かったのは、宮沢賢治の童話の中にある音風景でした。
彼の作品の中には「オノマトペ」がたくさんあって、私も宮沢賢治の作品を読んだときにそれを感じていて、でもその表現がなぜか理解できて。
それは、時代は変われど同じ風景の中で生きているからなのかなと、普段から思っていたからです。

シンポジウムが終了して、中央通りから本町通りに抜けるまで、
普段はあまり気にしない色々な音が聞こえてきました。

信号機の音、青に変わると動き出す車の音、サイレンの音、コンビニのドアの音、カラスの鳴き声、人の声。
こうやって音を意識しながら歩いていると、もしかしたらただ毎日を過ごしているよりちょっとだけ、なんていうのかな。歳を美しく重ねていく、ヒントをもらえたような気がしました。

さて、会場は岩手県公会堂というところ。
なかなか中に入る機会がないので、嬉しくて興奮しました。特に21号室。


大正時代に建てられました。


中はそのまま。



ここが一度入ってみたかった21号室です。


なぜかというと、この壁紙。
憧れのフィリップモリスの壁紙なのです。


イギリスに行ったとき、魅せられた模様。


外は暑かったけれど、
このカーテンが揺れると爽やかな風が入って来て、気持ち良かった。