中津川の終わり ― 2021年04月20日 18:08
今日は前から気になっていた、中津川の最後。
この目で見たくて、行ってきました。
スタート地点は、岩手銀赤レンガ館前。
中の橋。
河原に下りると、散策路が続いていました。
毘沙門橋をくぐると、
盛岡城跡(岩手公園)が見えました。
不来方(こずかた)城とも呼ばれています。
下の橋をくぐって、
河原橋を通り抜け、
御厩橋(おんまやばし)をくぐると、
道が2つに分かれていました。
中津川沿いは、左だ、左!
散策路から離れて緑地をどんどん進みました。
すると、緑地はどんどん狭くなっていきました。
え?もしかして、ここは…。
中津川の終点じゃないですか~(((o(*゚▽゚*)o)))ヤッター
つまり、左の川が中津川。
右の川が北上川。
(見えにくいですが、実はその向こうに雫石も見えました)
空から見ると、こんな感じです。
つまり、私はココに立っているわけです!
ゆっくりと流れる川と川に挟まれて、自分の存在が不思議な感じでした。
鳥肌が立つほど感動しました。そして、少し恐怖も感じました。
終点が、まさかこんなふうにとんがっているとは思わなかった…。
空を飛んでいるトンビが羨ましかったです。私も鳥になって上から見たかった~。
振り返ってパノラマ写真を撮ってみましたが、このブログに載せるのは難しい。
(容量が多すぎるので)
桜がまだ咲いていました。
今日は中の橋からだいたい5000歩、歩きました。
う~ん。これなら上流から歩いて来れそう。
お天気も良くて、とっても楽しい時間でした。
【おまけ】
私はここで思いました。
秋に太平洋から北上川を上って来る鮭は、ここでちゃんと中津川を選んだ進むんだよな。えらいな、と。
おしまい。
コメント
_ 五右ヱ門 ― 2021年04月22日 10:02
_ おこちゃん ― 2021年04月22日 19:55
五右エ門さん、あの時はそうそう、雪景色だったから特に、川が浮き上がって見えた気がします。お天気がいいと川が反射して光るし、よけいそうだったかもしれないです。
上の地図を見てもわかるように、秋田新幹線で盛岡を出発すると(上り)、すぐに雫石川を渡ります。斜めに渡るからか川幅が広く感じるよね。
逆に東京方面から帰って来るときは、雫石川を渡ると、ああ帰ってきたと思います。
ところで五右エ門さん、開運橋を別名「二度泣き橋」っていわれているの、知ってますか?
その由来は、転勤か何かで初めて盛岡に来たとき、まず最初に渡る橋が盛岡駅のすぐ目の前、「開運橋」。そのとき都会から来た人は、「ああ、こんな遠く離れた所まで来てしまった」と一度泣き、何年かして盛岡を去ることになってこの橋を渡るときに、今度は「離れるのが辛い」と二度泣く。そんなエピソードがあるのだそうです。(あのとき、まさしく五右エ門さんもそうだったんじゃないのかな…40年前)
材木町の脇を流れる川が、ご名答。北上川です。
上の地図を見てもわかるように、秋田新幹線で盛岡を出発すると(上り)、すぐに雫石川を渡ります。斜めに渡るからか川幅が広く感じるよね。
逆に東京方面から帰って来るときは、雫石川を渡ると、ああ帰ってきたと思います。
ところで五右エ門さん、開運橋を別名「二度泣き橋」っていわれているの、知ってますか?
その由来は、転勤か何かで初めて盛岡に来たとき、まず最初に渡る橋が盛岡駅のすぐ目の前、「開運橋」。そのとき都会から来た人は、「ああ、こんな遠く離れた所まで来てしまった」と一度泣き、何年かして盛岡を去ることになってこの橋を渡るときに、今度は「離れるのが辛い」と二度泣く。そんなエピソードがあるのだそうです。(あのとき、まさしく五右エ門さんもそうだったんじゃないのかな…40年前)
材木町の脇を流れる川が、ご名答。北上川です。
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青空で気持ち良い朝です。
夏日になり熱中症に気をつけての放送をみて、「え~、もう?」と呟いていました。
今年の夏はやっぱり猛暑だろうか?
今から暑さに慣れるよう汗をかいてと言われても、ストーブのお世話になってる秋田なんだけどな・・・
岩手銀行赤レンガ館からの写真をみていたら岩山展望台からの景色が浮かびました。
岩山からみた盛岡の景色。橋がいっぱいだなあと感じたのね。
街中を歩いても橋がいっぱいなんだけど、展望台からは川にかかる橋が遠くに見えてその景色がきれいだったんだよね。
秋田新幹線から見える開運橋と川も好きだよ。
もちろん岩手山も。
旦那がよ市のそばを流れる川は何川?と聞いてたな。
北上川!と答えたけどもしかして間違い?