貼るホッカイロ ― 2020年12月01日 10:00
三密 ― 2020年12月02日 19:32
思えばここ数年、我が家の流行語大賞ってのをやってないことに気づきました。
(気づいていたけど、ノミネートされるほどのものが無い)
以前は人が近いと「密です!」「密です!」って笑っていたけど。
あのときはまだ岩手はゼロだったから、笑えた…。
今はまさかの200人越え。
ここ1ケ月で150人以上増えました。もう笑えない…。
従妹の姑がデイサービスで濃厚接触者になりました。
PCR検査の結果が出るまで家族は仕事を休み自宅待機。
どうなることかと心配しましたが、陰性だったのでほっとしました。
そうこうしていたら、うちの近くの病院でもクラスター。
最近とても身近に迫っている感じがします。
でもあまり緊張感がなくて。
私も含め、みなさん自分は大丈夫、みたいな感覚なのかなぁ。
そういえば今日歩いていたら、ご高齢のお姉さまが私を見るなり、「あっ!」と大きな声を出しました。
「どうしました?」と尋ねたら、私を見て、マスクをしていないことに気にづいたと言うのです。 「これじゃあ買い物出来ないわ…。」と言って足早に戻って行きました。
私のバッグにはたくさんマスクが入っていて、ああ、1枚譲ってあげれば良かったか…と思いましたが、今どき人からもらったマスクなんてしたくないか。
今日の岩手山。
真ん中に、ハートの形、見えますか?
今日も明日も明後日も、ハートフルな毎日でありますように。
(なんかパチンコのCMみたいだw)
では、おさらいです。
三密とは、「密閉」「密集」「密接」。
いつか「懐かしい~」と笑って話す日が来るのでしょうか。
これから加速 ― 2020年12月03日 12:28
11月はあんなに早く終わったのに、
12月に入って、特に今週の長いこと、長いこと。
まだ木曜日?
まだ明日もあるんじゃん。(何が?ってみゃむの出勤w)
なんか今週はゆっくりに感じるのは、私だけかな?
61年生きてきて、主婦歴はざっと35年。
この季節、いい加減学習しろよ、と思うことは、なんで11月中に窓ふきをしなかったんだーってこと。
いつも窓を拭いている主婦ならともかく、めんどくさくていつも後回し。
そして、しない。(笑)
11月の小春日和、筋向いの奥さんが窓を拭いているのを見て、いつも偉いなぁと感心してた。だったら私もそのタイミングでやればいいのに。
なんだかんだと自分に言い訳をして、やらないでしまった、実に愚か。
だって、寒い盛岡。12月に入って、外で窓拭きなんて、無理だよ無理。(無理と言い切る私) きっと拭いた先から凍ってく~(´;ω;`)
ああ。反省だけなら猿でも出来る…。
さて、昨日の朝は何ともなかったのに、(ちょっとは薄くなっていたけどね)
夜に脱いだら、大きな穴が空いていました、冷えとり靴下。
なので今朝は久しぶりにチクチクと針仕事。
ちょこちょこと小さい穴は空いていたけど、こんなに大きいのは久しぶり。
冷えとり生活、ちょうど1年になります。
現在靴下は、昼は3枚、夜は2枚。(シルクとコットン、もしくはウール)
ときどき4枚履くことも(笑)
で、からだの変化は?
う~ん、なんとなく健康になっているような気がします。
盛岡、今日は雪が降っています。
外は2℃。
今日はとりあえず、目先のやらなきゃないことに取り組もう。
来週からはきっと、時が経つのがぐんぐん速くなっていくんだろうな…。
あっという間に、大晦日。(ってことになるんだろうな)
赤とか緑とか黄色とか ― 2020年12月04日 22:42
何の話?と思うでしょう。
ずっと思っていたこと、今日はつぶやきます。
黄色い羽根といえば、昭和30年に岩手県北上市で起きた交通事故をきっかけに、
交通安全運動の一環として、交通安全週間に黄色い羽根を配布した、という話は以前したことがあるような、ないような。
私は岩手県民なので当然、物心がついたときから黄色い羽根をもらいました。
しかし実際、他県のみなさんは子どもの頃、黄色い羽根をもらいましたか?
そんなわけで、私。ず~っと黄色い羽根イコール交通安全と思っていましたが、
黄色い羽根の活動は他にもあって、 石川県を中心に、臓器移植の啓発・促進の募金のシンボルとして黄色い羽根が使われているとのこと。
さらには、長崎の保護司会が考案した「幸福(しあわせ)の黄色い羽根」でも、社会を明るくする運動として普及されているようです。
ということは、政治家が胸につけている黄色い羽根は、いったい何を意味する羽根なのか?(もはや交通安全ではないような気がしてきたw)
緑の羽根については、森林整備等の推進に用いることを目的としているらしい。これも募金活動。
で、10月からだったでしょうか。赤い羽根共同募金、始まりましたよね。
私、思うんですけど、あの羽根、シールになってから洋服につけて歩いた人がどれぐらいいるでしょうか。
昔はね、針でした。セーターにもコートにも上手くつきました。そして長持ちしました。もちろん、指に刺してしまったこともあります。
でもね、いくら危険だからと言って、あのシールはないと思うんです。
むしろあれなら要らない人もいると思うんだけど…。
調べたらアレ、ニワトリの羽根だそうです。
わざわざ赤く染めて、一枚ずつシールくっつけて、誰かがその作業をしているわけです。いったいアレ1枚にいくらかかっているんだろ。
赤い羽根だけで、5千万枚作ってると聞きました。
ということは、黄色い羽根や緑の羽根も合わせたら、ニワトリの羽根~どんだけ~~~(◎_◎;)だよ。
さらに今月から歳末たすけあい運動が始まって、これは羽根とは関係ないけど。
確かに募金活動は大事だと思います。東日本大震災のとき、どれだけ善意の気持ちが力になったか。
だけど、赤だの緑だの、何かがズレているように感じるのです。
さすがに今年は街頭募金はなかったけれど、う~ん。うちの町内会でも班長さんが歩いてお金を集めていたけれど。なんか今の時代、別のやり方があるんじゃないかと思います。
さっきニュースで見ました。
コロナ患者を受け入れている病院で働いている方々の現状を。
春先からずっと過酷な勤務体制。なのに一般患者の数が減少したからと言う理由でボーナスが減り、職員も辞めていき、精神的にも肉体的にも追い詰められて、なのに次から次と感染者が運ばれてくるという現実。
それを見たら、Gotoなんてやってる場合か、って思いました。
寄付したお金の行先を自分で決めることができたなら、私は医療従事者のために使ってもらいたいと思いました。
豆 ― 2020年12月05日 19:56
12月は健康のために豆を食べるといいらしい。
ということで、金時豆をたくさん煮て冷凍しました。
このほかに朝食に納豆も食べ、味噌汁には豆腐と油揚げも入れて、
豆、豆、豆。
午後は偶然にもこれを食べました。
「力あんぱん」
そうです。また豆。
めったにこういう袋入りの菓子パンを買うことはないのですが、
目に入ってきた「オリオン」の文字。
うわぁ、小学生のときによく食べてたのよ、オリオンベーカリー、懐かしい!
見た目は小さい、だけどなんかずっしり重かったので、どれだけ餅が入っているのかと期待しましたが、これっぽっち。
だけど食べてみたら、想像以上に美味しくて、この微妙なバランスがいいのかも。
なんといってもパン生地が私好みでGOOD!
よし、明日はずんだ餅を作ろう。
そういえば金時 ― 2020年12月06日 15:06
煮豆を食べているときに、
「みゃむ、これは金時豆だよ。」と言ったら、
「そうか、金太郎豆ね。」と言いました。
最初、何言ってんだ(こいつ!)と思いましたが、
あ、そうだった、金太郎の本名は確か坂田金時。
するとみゃむがさっそく金時豆の金時について調べてくれて、
やっぱり金時豆の「金時」は金太郎だと判明しました。
だけどさ、かき氷にのせる甘い小豆も金時というよね。宇治金時もそうだ。
金時豆じゃないのになんで金時?
金時豆じゃないのになんで金時?
と思ったら、どうやらこういうことでした。
金太郎はいつも赤い顔をしていたそうです。なので赤いものを「金時」と例えるようになった。そういえば金時人参ってのも見たことあるかも。
さて、義母がくれた冷凍枝豆がずっと冷凍庫で場所をとっていたので、
今日はずんだ餅を作ることにしました。
うちにはフートプロセッサーがないので、すり鉢でつぶしました。
白砂糖がないので、てん菜オリゴ糖シロップで味付け。
ほんのちょっとだけ塩も。
たったこれだけ、作るのに1時間。
しかし食べるのは3分。
手を抜けばもう少し早く出来上がるのですが、
私は、豆の薄皮も一つひとつ剥いているので時間がかかる。
下の写真。
上がそのままの色。下の豆は薄皮を向いた豆。
ほんのちょっと色が違うでしょ。
剥いた薄皮、このひと手間が美味しくするのだ。(見た目も綺麗)
それでも冷凍の枝豆はまだいいよ。
かつて農家のお嫁さんだったときは、「今日はずんだ」と決まったらまず畑に行って、豆の収穫から始まった。その豆の量の多いこと。
今でも忘れない、野球バットのようなすり棒でそれらを擂る。もちろんすり鉢はあぐらをかいても股にはまらない大きさよ(笑)
あの作業だけは、習得しないうちに引退してしまったなぁといつも思う。
というわけで、あのときは餅もついたので一日がかり。
だけどやっぱり、みなさん、3分で食べ終わってた…(◎_◎;)
いつも何だろな~と思っていたけど、豆好きの嫁にはたまらない。
餅はつきたて、豆は採りたて、そんなずんだ餅だもの、美味しいに決まってる。
みんなが食べ終わった後の食卓で、一人味わって食べたものよ。
で、今日のずんだ餅ですが、
みゃむは美味しいと言ってくれましたが、その後チョコパイを食べていた。
正直でよろしい。
主役 ― 2020年12月08日 20:53
おこち「そういえばさ、私、子どもの頃に演劇やってて、主役をしたことある!」
みゃむ「え~っ!そんな話、初めて聞いた(@ ̄□ ̄@;)!!」
おこち「うん、私も忘れてた。」
みゃむ「演劇?」
おこち「そう、演劇。小学6年生の時、私、演劇部に入ったのよ。それで発表会があって、主役だった。」
みゃむ「すごいじゃん!」
おこち「まあね~♪」
みゃむ「で、何をやったの?」
おこち「忘れた。でも『よつぢの…』ピッピだったかな、ポッポだったかな、そういうの題名だったのは確か。」
みゃむ「じゃあ、ゆうこさんはピッピだかポッポの役だったの?」
おこち「う~ん、覚えてないけど多分そうかな♪」
気になったので、「児童劇」「よつじ」で検索してみました。
すると、正しい題名が分かりました。『四辻のピッポ』
おこち「ああ、そうそう。ピッポ、ピッポ!」
みゃむ「どんな役だったの?」
おこち「なんかね~ピンクの服を着て~ヒラヒラのエプロンして、可愛い女の子の役だったよ。小間物屋という役の人からピンクの髪飾りを買った。」
おこち「あ、それから、なんか四辻っていう道が分かれたところで、道に迷ってさ、『どれにしようかな…』って可愛く指をさして道を選んだの、それも憶えてる♪」
みゃむ「すごいじゃん!」
おこち「まあね~♪」
気になったので、今度は『四辻のピッポ』で検索したみました。
すると、1つだけ貴重な情報が。ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
誰かのブログであらすじを書いている人がいたのです。
内容はこうでした。
街外れに、ピッポという足が悪い男の子が住んでいました。(え?男の子?)
ピッポの家には観音開きの窓があり、いつもピッポはそこに座って外を眺めていました。(え?どういうこと?)
たくさんの人が四辻で道に迷うので、ピッポは窓から上半身を出して、道を教えてあげるのでした。(はぁ??)
みゃむ「ゆうこさん、ほんとに主役だったの?」
おこち「う、うん、ずっとそう記憶してたけど…。」
でも、確かに私は道に迷っていた…。
ということは、私の役は通行人AとかBとかだったということ?
が~ん!
誰かの論文みたいなのに、こんなことが書いてありました。
人は自分が信じている考えを正当化するために、動かしがたい事実があるにもかかわらず、それを歪めて解釈し、自分に有利になるように記憶する…。
およね饅頭 ― 2020年12月09日 22:09
今日は忙しかった。
午前中、水泳教室に行って、午後は会議のようなものが2つあって、
だけど帰り際に、ある人から「これあげる」と渡してもらったものが、およねまんじゅうでした。
「ありがと~。私、これ大好きなんです~!」
くるみが真ん中にあって、
ガブッ!
そうそう、つぶあんなのよね~。
およね饅頭のおよねとは、女性の名前。
私の記憶では、ダムの人柱になった女性、だと思っていましたが、
調べてみたら、天保の大飢饉のときに、納税(米)を収めることができなくなり、村一番の美人(およね)を殿様に差し出した、のだそうです。
(またしても、あてにならない記憶…)
この「およね饅頭」は岩手県西和賀町にある工藤菓子店の銘菓です。
初めて食べたのは、もう40年以上前かなぁ。北上出身の後輩からもらいました。
でも、そのとき食べたおよね饅頭はもっと大きい饅頭だったような。今日の饅頭はかなり小さく感じました。
もしかして、あれ?子どもの頃に大きいと思ったものが大人になって見たら、実はとても小さかった、あれ。(いや違うね、食べたのはもう大人だったw)
美味しかった~。
5個もらったので、みゃむと2個ずつ食べて、もう1個はきっちり半分こして食べました。珍しく「ゆうこさん食べていいよ」とは言わなかったみゃむ(。-`ω-)
さて、ずっと気になっていたことがあります。聞いてください。
確かこれも二十歳ぐらいのときだと思うのですが、「よねばあさん」だか「およねばあさん」だか、名前は忘れてしまったのですが、おばあさんのシリーズ物の笑い話があったの、誰か憶えていませんか?
1つはこんな話でした。
初めてワンマンバスにのったおばあさん。いよいよ降りる場所に近づいて来たけれど「ピンポンでお知らせください」というアナウンスの意味がわからない。
なので運転手のところに歩いて行き、耳元で「ピンポン♪」と囁いた、と言う話。
確か秋田の人が、さも秋田の話のように私に教えてくれたような…。
(五右エ門さんではありませんw)
ラジオで放送されたのかなぁ。それとも雑誌?
面白い話がまだまだあって。
検索したけど出て来ません。知っている人がいるといいんだけど。
検索したけど出て来ません。知っている人がいるといいんだけど。
もし知っていたら教えてくださ~いm(__)m
美術館に行って来た ― 2020年12月10日 21:38
今日はちょっとお洒落をして、美術館に行ってきました。
東日本大震災復興祈念
東山魁夷
唐招提寺御影堂障壁画展。
岩手県立美術館は、いつ来ても素敵です。
写真撮影はここまで。
最初に出迎えてくれた『涛声』という作品は、16枚の襖から出来ていました。
海を描いたこの作品の前に立ったら、波の音が聞こえてきました。
まるで自分がそこに立っているような。
その海の風景がなんとなく懐かしく感じて。
見たら三陸海岸でもスケッチをしていたようで、そうか、私が見てきた海だもんなと思いました。
『山雲』という作品も素晴らしかったです。
言葉にならなかった。
東山魁夷という人は、もちろん天才画家だとは思いますが、
何枚もの襖や床(床の間の床)に、直感的に絵を描いていたのではなく、
日本中をまわってスケッチし、何度も下絵を描き、緻密な計算のもとに大作を完成させていた、ということに感動しました。
特に今日初めて見た、方眼紙のような線が引いてある下絵には驚きました。
なるほど、こうやって完成したのかと思うと、また本物が見たくなり、また作品の前に戻り、行ったり来たり。(人が少ないのでそれが出来た)
唐招提寺御影堂全面改装のおかげで、こうして本物を見ることが出来ました。
いつかこの襖や床が戻ったとき、唐招提寺で再会したいと思いました。
大滝詠一 ― 2020年12月11日 09:19
21歳のときに、同僚の(いや先輩の)部屋に遊びに行って、
「これいいよ~。」とかけくれたのが、大滝詠一の『A LONG VACATION 』というLPレコードでした。
ほんとだ、いいですね。
というわけで私もレコード屋さんへ。
最近、そのとき聴いた『君は天然色』という曲が軽自動車のCMで流れていますが、もう40年経っているのに全然色あせない。(天然色だけに?w)
ついつい「思い出は~モノクロ~ム~色をつけてくれ~♪」と口ずさんでしまうので、とうとうみゃむが大瀧詠一のベストアルバムを買ってくれました。(レコードはあの家に置いてきてしまった…ってどの家?w)
で、CDについてくる冊子みたいなのを読んでわかったのですが、
彼の曲って、作詞がとんどが松本隆だってこと。
で、『さらばシベリア鉄道』って曲が、『木綿のハンカチーフ』と同じように、
男女の交わした手紙風の歌詞だったってこと。
ハンカチーフは、田舎に彼女を残して上京した恋人同士の遠距離恋愛。
シベリアは、何があったかは知らないけれど、突然届いた彼女からの手紙、消印を見るとシベリアからだった。女からの思い、男の思いが、交互に綴られていました。何度も聴いていたのに、何を聴いていたんだか。全然気づきませんでした。
松本隆は意識的に作ったらしいけど、こんな手法だったとは…。
どちらも太田裕美が歌っていましたね。
ちなみに私の好きな曲は、『恋するカレン』という曲です。
キャンドルを暗くして~♪の、あれです。
さて、大滝詠一が岩手県出身だと知ったのは、ずいぶん経ってからのことでした。
思えばあのレコードを聴かせてくれた先輩と同郷の人。
彼女がそのとき、それを知っていたのかどうかは知る余地もなし。
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