電話帳の思い出2020年06月19日 16:04

電話帳の思い出と言えば夏休み。電話帳に朝顔を挟んで、押し花にしたよね。

でも、電話帳。
かつて電話番号だけじゃなくて住所が記載されていたことを思い出し、
いろんなことが蘇りました。

中学生の頃、電話帳で好きだった人のお父さんの名前を調べてみたり、
自分と同じ名字の人が市内に何人いるか調べてみたり、
あるいは佐藤○○とか、どれだけ同姓同名(漢字は気にしない)の人が並んでいるか数えてみたり。
まぁ、そもそも北国の冬は暇だから、コタツとみかんと電話帳があれば、
1時間ぐらいはあっという間に過ぎました。

電話帳の思い出でベスト3、その1。初めて電話帳って凄いなと思ったのは、
兄が大学に合格し、下宿屋さんを探すために家族で盛岡に行く日の出来事。
北上駅から下りの電車に乗って家族で盛岡に行こうとなったとき、朝から友だちと遊びに出かけた兄が約束の時間だというのにちっとも駅にやって来なくて。
中学生だった私は焦りました。
でも両親がとった行動は、駅の電話ボックスにあった電話帳で兄が行ってそうなお店の電話番号を調べて、かけまくった。そして兄を呼び出した!
結局、予定の電車より1時間遅れで出発しましたが、
電車の中で叱られてた兄とのやりとりから、どうやら兄はパチンコ屋に行ってたらしく、私は、軍艦マーチが流れる店内で自分の名前が呼び出されてびっくりしてる兄、時計を見たらこれまた、うわっ!こんな時間!とびっくりして、慌てて走って来た兄を想像し、この人はもしかしたら、ろくに大学にも行かずチンピラになるんじゃないかととても心配になったものです。(だって卒業式は終わっても、一応まだ高校3年生)
しかし、今思うと凄いのは、電話帳でも、兄でもなく、
兄の居場所を突き止めた両親…。

電話帳の思い出、その2。
選挙運動のお手伝いをしたときです。
私はウグイス嬢ではなく、電話をかけまくる係になりました。
まだ携帯電話がない時代、6畳間に数人、1回線の電話器と電話帳をを預けられて、「じゃ、私は『あ行』ね」って感じで、片っ端からかけまくりました。
そうしたら、誰かがサトウトシオという人にかけることになり、
え?砂糖と塩?と言ったものだから、もう大変。
笑いが止まらい止まらない。違う人にかけても、それが頭に浮かんで、んもうだめ、笑ってしまう。
長くて辛い作業でしたが、けっこう楽しい選挙運動でした(笑)。

電話帳の思い出、その3。
特にストーリーはありませんが、初めて東京の電話帳を見たときです。
なに、こんなに厚いの?こんなにあるの?
(これじゃあコタツに寝っ転がって時間をつぶすなんて出来ないわ、枕になって寝てしまう)
田舎の電話帳は、薄っぺら。暗記しようと思えば、出来る。(笑)




コメント

_ 五右エ門 ― 2020年06月20日 10:30

電話帳の思い出が1~3!
一生懸命思い出したけど「んー・・・」状態

でもね、記憶が定かじゃないけど昔は図書館に全国の電話帳を置いてなかった?
全国のが置いてあることにびっくりしたのと、おこちゃんがびっくりしたと同じく東京の厚さにびっくりしたのさ。
たぶん、図書館だと思うけど・・・違ったらどこでみたんだろ・・・
電報電話局かな・・・

電話帳といえば、各家々に親戚の番号や職場の番号を綴った電話帳があったよね。
今じゃ携帯に登録だから死物だけど、我が家にはまだあります。
久しぶりに開いてみたらほとんどが義母関係の方々(ほとんど亡くなってる)
そして、娘達の小学校や、中学校のお友達の家電番号。
懐かしかったよ~
義母の自筆や娘、私の自筆があって、見にくいったらありゃしない。
その中には源内さんやおこちゃんの番号はなかった~
なぜか笑えた。お嫁にいった先にはなかなかかけれなかったからかな。

_ ビーカー ― 2020年06月20日 13:39

こんにちは。

すがすがしい爽やかな日です。
青い空、風は気持ちよく、冷暖房を使わずに済む貴重な時期です。

わーい!またまた五右エ門さんのつぎだわ。よっしゃー\(^o^)/

電話帳の思い出…わたしも特にないんだけど…
その昔電話帳の番号の次?に(農)とあったのを覚えているかなぁ。
1つの電話番号をご近所さん何件かで、今で言うシェアするシステム。
(農)ってある位だから農家の人たちがやっていた。

っていうのも、相棒の実家も昔そうだった。
付き合っている頃に用事があったのか掛けたことがある。
まー通じない、通じない。(ー ー;)
昔は携帯やメールもないし田舎はご近所もそこそこ離れているせいで、みんなよく電話し合っていたのか…とにかく話し中。

そんなある日また相棒に電話をした。
珍しく繋がったけど出たのはお父さん(のちの義父)、親子のあるあるで声がそっくりおもわず「○○さん?」と言ってしまった。
もちろん「違います…」って言われて、汗が出たなぁ〜(^^)
その後は普通に相棒と話せたけどね。

昔は電話するにも緊張したもんよね。電話をかける時間を気にしたり、名前をきちんと名乗るとかね。親が出る仮定でかけないと。

早くに亡くなった実家の父親は、電電公社(現NTT)に勤めていた。
(父は工事をする人だったらしい。)
わたしが生まれる以前に家で手まわし式の電話ををしている写真がある。

どんだけ昔よ〜〜(^^)

_ おこちゃん ― 2020年06月20日 21:34

五右エ門さん、まず電話帳の思い出より、「電報電話局」に笑ってしまった。
うちの母、電話局でたまにバイトしていて、北上の電話局が小学校の近くにあったから、土曜日は学校が終わると電話局のそばで母が出て来るのを待ってたよ。一緒に帰れるのが嬉しかったなぁ。
いつも電電公社と言ってる気がしてたけど、そうだよ、電話局。いやぁその響きはほんと懐かしい(*^▽^*)
でも電話局は子どもが気軽に入れるような場所じゃなかった。(ような気がします) 五右エ門さん、全国の電話帳をどこで見たんだろう。

一家にひとつ、家庭の電話帳、あったね~。懐かし~い(*^。^*)
電話にカバーもかけてたわ。敷物とセットで。
それと小さなアドレス帳も、高校を卒業したあたりから、女子は一冊持ち歩いてなかった?確か住所も書いてたよね。あ業から五十音でページが分かれていてさ。ら行のページの人がいなかった。いや唯一、六本木さんという友だちがいたな。

確かに五右エ門さんに電話をかけた記憶がないし、かかってきた記憶もない。
お嫁に行くと、そういうことだったのかもね。(というか私たち、それほど仲良しではなかったし…笑 先輩と後輩という意味w)
今はLINEがあって、ほんと便利ですわ。何人とでもトークできるもんね。
でもケータイのせいで、電話番号を記憶できなくなっているのは悲しい。
私は自分以外の電話番号、知らない。やばい。

_ おこちゃん ― 2020年06月20日 22:01

ビーカーさん、こんばんは。
今夜は寒くて、窓を閉めました。
日中はほんと、清々しくて、みゃむも一年中こんな気候だといいなぁと話していたよ。私もそう思った。

電話番号の次に(農)って、見たことあるような気もするけど、使い方が分からないから不思議だった。今そういうことだったのか、と思いました(笑)
田舎によくある有線電話とも違うんでしょ?
ぼたん園の近くにいたとき、黒電話が2つあって、普通の電話と有線の電話で、どちらかというと有線のほうがよく鳴りました。
私はよそ者だったので、その電話に出るのが嫌でさぁ。屋号で話すものだから、「染屋ですか?」と言われて「違います」と言って切ってしまい、笑われた。後から聞いたら、その家の屋号は「染屋(そめや)」だった((+_+))
有線電話ってさ、朝と晩にいきなり音楽がなったり、小学生の作文が読まれたり、ほんと前触れもなく音がするから、びっくりしたよ。

思えば、人生で最初に敬語を話したのは、電話だったかも。
電話をかけるって、緊張して、何度も練習してからかけたよ(笑)
「○○さんのお宅でしょうか。▽▽さん、いらっしゃいますか?」って、何度も何度も。勇気を振り絞ってダイヤルを回したよ~。ましてや男子の家にかけるときはダイヤル回してから、おじけづいて受話器を置いてみたり。
今の子はそんなことを経験しないでいきなりケータイだもんね。
会社で初めて、そういう受け答えを経験するってことなんだね。はぁ→ため息

私のラブレターを読まれた事件みたいな経験、ビーカーさんも嫁入り前にしてたんだね。ビーカーさん、焦ったでしょうね。でも顔を赤くしたりして、きっと可愛かったであろうw

え?ビーカーさんのお父さん、電電公社にお勤めだったの?
私の家は大曲だったんだけど、そのとなりに電電公社の独身寮があって、いろんな人に「ゆうこちゃん」って可愛がってもらったよ。小学生のときにレコード貸してもらったりもした。みんないいお兄さんたちだった。きっとビーカーさんのお父さんと一緒に働いてた人たちだったんだろうね。
もひとつ、え?
ビーカーさんの実家、生まれる前から、電話器あったってこと?

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